世界的に見ても異常に高額な供託金制度が国民の参政権を侵害している / 1%代理人ばかりが選出されるインチキ民主主義のカラクリ

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<8月9日追記>
この記事を出した後、Yoshida Umeさまが供託金を廃止するための署名運動を立ち上げてくださりました。供託金の問題に選挙戦のさなか言及していた三宅洋平氏も署名し、拡散に協力くださっています。ぜひ皆様にもご協力いただければ幸いです。以下のサイトで署名できます。
供託金をタダにしよう!または、限りなくタダに近くしよう!

[被選挙権を制限する供託金制度]

前回の記事で書きたかった話を今回書きたい。
「参政権」という言葉を聞くとき、殆どの人が真っ先に思い浮かべるのは、選挙権のことであると思うが、投票する権利である「選挙権」に加え、立候補する権利である「被選挙権」も参政権の重要な一部である。

大日本帝国憲法の下に置かれた帝国議会での選挙権は当初直接国税を既定の額以上を収めた男子のみに与えられていたが、普選運動の盛り上がりに連れて徐々にその範囲は広められ、1925年(大正14年)の衆議院選挙法改正で20歳以上の男子全てに選挙権が与えられた。これは普通選挙と呼ばれているが、選挙権は依然として男子に限定された制限選挙であった。戦後新憲法の下では、選挙権は20歳以上の日本国籍保有者に与えられている。

もう一つの参政権である「被選挙権」については、現在では投票日時点の年齢で25歳以上の日本国籍保有者に衆議院議員・都道府県及び市町村議会議員・市町村長の選挙に出馬する権利が与えられ、30歳以上の日本国籍保有者に参議院議員・都道府県知事の選挙に出馬する権利が与えられることと教科書的には説明されている。

一見すると、戦後日本は高度に開かれた民主主義を普通選挙によって実現しているように見える。しかし「被選挙権」に関しては戦前から一貫して事実上制限されており、その制限は戦後においても取り払われたとは言い難い状況である。この「被選挙権」を制限しているのがここで取り上げる供託金である。

供託金制度は男子普通選挙と同時に導入されたものである。売名行為をするためだけに立候補をするような泡沫候補を排除するという名目でこの高額な供託金が導入されているのだが、これは当時盛り上がっていた無産者運動の候補者を排除する目的であったのは明らかである。

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この「被選挙権」を事実上制限する供託金制度は戦後になっても廃止されることなく、しかも額面が高騰し続けていることが上の表からわかる(サイト:「選挙供託金制度」参照)。現在の供託金の詳細は以下の通りとなっている(ウィキペディアより)。

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[世界的に見ても異常に高い日本の供託金]

供託金制度は日本に限った制度ではないが、下の表からもわかる通り、日本だけ世界的に見ても異常に高額の供託金を課せられていることがわかる。シンガポールは供託金が高額であるが事実上一党独裁の国家であり、開かれた民主主義の国とは言い難い。また韓国・台湾が高額であるが、詳細は知らないが、長らく日本の植民地であったことと関係があるかも知れない。

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いわゆる西側先進諸国ではイギリス・カナダ・アイルランド・豪州・ニュージーランド等に供託金制度があるが、日本とは物価水準を考慮に入れても比較にならないほど安い金額が設定されていることがわかる。簡単に言えば、日本の市議会議員選挙に出るための供託金だけで、イギリスでは3回国政選挙に出ることができる。日本の衆議院選挙小選挙区に1回出馬するための供託金で、イギリスではおよそ39回も国政選挙に出ることができるのである。比例重複であれば、イギリスではその倍の78回選挙に出ることができるのだ。

また米国・フランス・ドイツ・イタリアには供託金制度そのものがない。つまりこうした国々では、日本と比べるとはるかに容易に国民が選挙に出ることができるのである。日本の供託金がいかに高額で馬鹿げたものであるかがこのことからもわかる。被選挙権は年齢を満たせば与えられるのではなく、実際には300万円ないし600万円ものカネが供託金として準備できる者のみに与えられているのである。この異常に高額な供託金によって日本の選挙は普通選挙ではなく、事実上の制限選挙になってしまっているのだ。

バブルに沸いた80年代ならまだしも、こんなデフレ経済で庶民が喘いでいるご時世で一体どこの庶民がポッと300万から600万のカネを用意できるというのだろうか。しかもバブル経済が崩壊した1991年2月以後も、1992年に供託金は200万円から一気に300万円まで引き上げられているのだから驚きである。

[憲法に違反する供託金制度]

法の下の平等を規定した日本国憲法第14条の第1項では「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とされている。

また、両議院の議員及び選挙人の資格を規定した日本国憲法第44条では「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない」と定められている。

被選挙権を異常に高額な供託金によって制限する現在の供託金制度は、これらの条文にも明らかに違反していると言えるのではないだろうか。

高額なカネが用意できる才能と、優れた政策・法律を立案する能力とは本来全く関係のないことであるのは明らかである。売名行為の為だけに立候補する類の泡沫候補を排除するのが本当の目的であるのならば、米国やフランスで導入されている「一定数の有権者からの推薦署名を集める」といった措置で代替できるものである。またウィキペディアによれば、「イギリスでは供託金が低く日本よりも簡単に立候補できるため売名候補は多いものの、それにより目立った弊害が起きているとは認識されていない」。

つまりこれは組織力・資金力のない候補を排除するものでしかない。巨大資本が政治を牛耳るのに誠に都合の良い制度である。中間団体が弱体化してしまい、資本の力がかつてないほど強大化した現在、もたらされるのは資本による政治の露骨な買収である。

[中間団体の弱体化、個人のアトム化と日本型民主主義の衰退 / 1%による政治の買収]

従来も供託金が高額であったにも拘らず、さして問題視されることがなかった背景には、それまで中間団体が資金力もあり、それなりに力を持ち、日本の政治が比較的バランスの取れたものであったということが考えられる。中間団体は政党に対して影響力を行使しえたため、アクター間の押し合いへし合いは結果としてバランスをとることに寄与した。また中選挙区制という日本独特の選挙制度も、この日本型民主主義と呼ぶべき微妙なバランスの維持に寄与してきたと言える。

戦後長らく自民党の一党独裁体制であったが、最大野党として社会党が君臨し権力の監視機能を果たし、その中でマスコミも権力監視の一定の役割を果たしてきたと言える。自民党の中の派閥が事実上の政党の役割を果たしており、派閥抗争は政権交代が起こらぬ中で政治の流動性を維持する役目を果たしたと考えられる。当時は官僚もマスコミもまだ国民を裏切ってはいなかった。

しかしバブル崩壊後、ビッグバンを経て外資による国内経済乗っ取りが進むと同時に、中間団体は「抵抗勢力」「既得権益者」として叩かれ弱体化、労働組合も終身雇用制の崩壊と正規雇用の減少と並行して急激に弱体化した。中間団体が弱体化することで、個々人におけるアトム化が特に都市部において顕著となった。従来保たれていたアクター間のパワーバランスがここで一気に崩壊し、(外資も含めた)巨大資本の力だけが突出することとなった。マスコミの新自由主義への「転向」はこうした事情を背景にしていると私は考える。そして勝者総取りの小選挙区制が、これまでの共存型の日本型民主主義の破壊を加速したと言える。

中間団体が弱体化する一方で、巨大資本の力だけが突出するようになった今日の状況で、今回の記事で検証してきた高額の供託金はどのような意味を持つだろうか。それは1%巨大資本による政治の買収であると私は思う。

安倍自民は、「古き良き自民」の復活とTPP反対を託した地方の人々の願いを踏みにじり、竹中平蔵や伊藤元重といった新自由主義者やグローバル資本の代表たちをブレーンに起用し、TPP交渉に加盟、更に構造改革・道州制を推し進めようとしている。つまり安倍政権は、地方や国民に寄り添う政権なのではなく、巨大グローバル資本に寄り添う政権であることはもはや明白である。

一方の中道左派野党は、今回の参院選でその弱体化が顕著に表れた。地方組織が脆弱なだけでなく、もはや候補を擁立する力がないのである。選挙費用がかかるのみならず、最初に供託金を用意できなければならないことも重くのしかかる。このまま手をこまねいていては、敗北が弱体化を招き、更なる敗北を呼ぶ負のスパイラルから抜けられなくなるだろう。共産党ですら近年では候補者数を減らす傾向にある。

中道左派が益々弱体化する一方で、みんなの党・橋下維新・民主という新自由主義勢力が政界再編で結集しようとしている。つまり今後国民の前に提示される選択肢は「新自由主義の安倍自民」か「新自由主義の野党連合」か(あるいは政権を取る気もないガス抜きのための共産党)の選択、つまり「1%による二大政党制」というおぞましい構図である。

中間団体が淘汰に追い込まれた後に残るのは、どちらも上位1%支配層の利害を反映する勢力でしかない。どっちを選んでももたらされる結果に大差はない。政権交代が起ころうが起こらまいが、政治を実際に牛耳るのは巨大資本であり、もはやここには庶民の選択の自由はないのである。その時点で民主主義はインチキであり、茶番となる。

ここに至って、新たな政治勢力が出現するのを大きく阻む高額な供託金という壁に直面するのである。現在その権力を手にしている1%側の利害を代弁している政党は、決して供託金を廃止しようとしないだろう。これは彼らのパトロンである巨大資本が権力を維持するために必要な経費なのである。

かつて2008年に一度だけ当時の自民党政権が供託金を3分の2まで引き下げようと試みたことがあった。これは当時既に資金難から擁立候補数を絞り込む傾向にあった共産党に候補を多数擁立させ、民主党の政権奪取を阻止するのが狙いの、自民党の利害を著しく反映したものであった。このとき、政権交代を目前にした民主党(代表:小沢一郎)は反対に回っている。その後2009年7月衆議院が解散されたため廃案となった(リンク)。

供託金を廃止するためには、裁判で違憲判決を勝ち取るか、あるいは供託金廃止を掲げる政治勢力に権力を取らせて公職選挙法を改正するしかない。

我々はなんとしても地方・中小企業者・サラリーマン・非正規雇用・各種中間団体といった99%の利害を代表する政治勢力をこの3年間で結集しなければならないのは明らかである。私はその運動の核になるのは山本太郎であると思っている(これについては次回の記事で述べる予定)。なんとか最後の力を振り絞って旗を掲げ、候補者を選出し、資金を集めるということを着実に進めていかなければならない。そして、新たな政治勢力を旗揚げできる暁には、世界的に見ても異常かつ憲法の趣旨にも明らかに違反している供託金の廃止をその公約に掲げて頂きたいと希望する。

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<参考サイト>
選挙供託金制度
ウィキペディア「供託金」
ウィキペディア「参政権」
ウィキペディア「制限選挙」

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