東南アジアを席巻する韓流・「韓国化・ネオ植民地化」の尖兵としてのK-POP

<当ブログ「橋下維新は答えではない!」シリーズ:橋下維新の正体↓>
その①ファシストは人々の心に巣食うファシズムに囁きかける
その②形骸化する民主主義:選挙で選ばれぬ人たちが政治を動かしている
その③選挙で選ばれぬ新自由主義者たちによって売りに出される大阪:大前研一と竹中平蔵の影
その④【地下鉄利権】関西私鉄幹部が大量に大阪市参与に就任していたことが判明。裏で進められる公共財の解体と簒奪。/一刻も早く橋下リコール運動を開始すべし。
その⑤【大阪地下鉄民営化利権続報】在阪マスコミは関西私鉄の事実上支配下にある!マスコミが橋下維新・地下鉄「民営化」問題を報じない理由

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先日までベトナムを訪れていた。今回が初めての訪問であり、滞在も短いもので、ベトナムという国を論じるのはおこがましいと感じる。そこで今回はベトナムに関しては直接に論じず、ベトナム滞在中にホテルでテレビを眺めながら考えたことを今回の記事で書き、次回の記事ではベトナム滞在中に出会った二人の対照的なベトナム人の話を書こうと思う。

今回の記事ではベトナムで見たK-POPから考えたことを書きたい。当ブログの読者の皆様はご承知のことと思うが、私は日本の排外差別主義者たちによる所謂「嫌韓」に与するものではなく、むしろ排外差別主義者たちとは対極にあると考えている。またTPP反対の立場からむしろ韓国で米韓FTAや外資支配に反対する民衆と積極的に連携して共闘すべきであるという立場である。しかしながら、今回この記事を書くためにベトナムの宿で比較的長時間テレビで見ることとなったK-POPに関しては正直うんざりし、精神的苦痛すら伴うものであったということは冒頭に吐露しておく。

「韓国化・ネオ植民地化」の意味するものについては、以下の当ブログ過去記事をご参照いただければ幸いである。

日本の「韓国化」を阻止せよ!:TPPによって日本の「韓国化」「ネオ植民地化」完成を目論むBKDを討て!
坂道を転がり落ち「韓国化」する日本・新自由主義グローバリズムの否定こそが事態を打開する

[東南アジアを席巻する韓流]

サイゴン(ホーチミン市・現在でも普通にサイゴンと呼ばれている)の鉄道駅で列車を待つ間に行ったロッテリアのモニターに韓流アイドルを起用したと思われるCMが流れていたのが、今回の件を考えて見ることにした直接のきっかけである。当初はロッテという会社が韓国資本のものであるからかと、あまり深く考えずに受け流していた。滞在先の宿で夜テレビをつけるのだが、ベトナム語はさっぱりわからぬのでついつい音楽チャンネルにするのであるが、音楽専門チャンネルのChannelVもMTVも洋楽をしばらく流した後、必ずといっていほどK-POPを立て続けに流すのである。ちなみにこのMTVは中国の中央電視台(CCTV)とMTVが共同で製作しているもので、それをベトナムで放映しているのである。つまり中国でもK-POPが人気があるということを示している。


この傾向はタイやマレーシアでも言えることである。一昔前は日本の音楽を紹介する番組もあったのであるが、ここ数年次第にJ-POPというものは姿を消してきた。東南アジアの現在の10代の若者は、東南アジアに広く分布する華人系の人々を含めて、日本や台湾の音楽よりもK-POPを好む傾向が顕著になってきている。J-POPでは20代後半から上の人々の間ではKIRORO・宇多田ヒカル・浜崎あゆみ・GLAYなどが知られているが、その下の世代になると殆ど知られておらず、かろうじてAKB48(私は全く興味がないのであるが)が知られている位である。日本のドラマもかつては人気があったが(こちらも私は興味がない)、今では殆ど論じられることはなくなった。日本のカルチャーとしては、アニメ・コスプレ・メイドカフェやハローキティやリラックマなどの萌えキャラに特化されつつあるようである。AKB48もその流れに乗ったものであろう。ベトナム滞在中に見たNHKワールドで、ハローキティのマーケティングに関する特集や、「かわいい」を世界に紹介するという内容の番組を見、かつそれが他の音楽チャンネルで流され続けるK-POPと対照的であったこともあり、日本はもはや他に紹介するものがないのかとうんざりした。

台湾の音楽は、東南アジアに華人が多いこともあり根強い人気があるのだが、話を聞けば10代の若者の間ではK-POPの方が猛威を振るっているとのことである。K-POPと台湾ポップは、私には両方とも歌詞の内容はわからないのであるが、ミュージック・ビデオ(MV)を見比べれば、両者は大きく異なっていることは明らかである。双方それなりにカネをかけて撮影しているのがわかるのだが、台湾ポップはグループよりもソロの方が多く、MVは明確なストーリー・ラインのあるものが大半で、シーンがゆっくりと流れるものが多い。ノリのいい音楽よりもバラードの方が好まれ、多く作られているようだ。

これに対し、K-POPのそれは音楽もディスコ向けに作られたようなアップ・テンポのものばかりで、短いカットを矢継ぎ早に出していくもので、派手できらびやかな作りとなっている。歌手は大抵女性のみのグループか男性のみのグループで、派手な衣装とヘアースタイルの個々のメンバーのズームが出たあとに、グループでひたすらダンスをし、その間に背景のセット・アングル・シーンが目まぐるしく変化するというもので、グループのメンバーの半分ほどは歌わずにダンスのみを専門でしているように見受けられる。早い話が、うるさく、目の回るもので、ストーリー性は見出しがたいものが殆どである。歌詞がわからぬのでなんとも言えないが、こうしたMVや音楽の流れで見れば、恐らく大したメッセージ性のないフレーズを連呼している内容なのであろうと想像する。こうしたことから見えてくるのは、K-POPは音楽の美しさや歌詞の内容ではなく、ノリだけのものであるということである。こうした音楽は音楽というよりは麻薬のような効果を生むような気がする。私はこれについてブログで書こうと、長時間テレビで見ることとなり、知性がレイプされた気分にさえなった。
(今回の記事の最後に典型的な台湾ポップのMVと、典型的なK-POPのMVを付しておくので、興味ある方はご参照いただきたい。なおK-POPの方は日本語で歌われているので、日本でも知られているグループなのかも知れない。)

韓国国内での音楽事情がどうであるのかは私は知らない。メッセージ性のある音楽も多く作られているのかも知れない。しかし、メジャーの商業ベースに乗っていわば「ごり押し」的に輸出される韓国の音楽「K-POP」というものは、上に述べたようなものばかりであるということは確かである。私は巨大資本によって商業ベースで「ごり押し」的に輸出されるK-POPに対し、「外国の音楽や文化を紹介する」といったかつての牧歌的で無害なものではなく、強引さ、胡散臭さ及びきな臭さを強く感じた。

[「韓国化・ネオ植民地化」の尖兵としてのK-POP]

「韓流」というものがアジアに広まったのは2003年ごろのことである。『冬のソナタ』というドラマがヒットしたのに続き、韓国ドラマが輸出されていくようになった。ドラマに続いて映画も広く輸出されるようになり、近年になってK-POPが大々的に宣伝されるようになってきている。

注目すべき点は、こうした「韓流」ブームは韓国がアジア通貨危機によって破綻し、IMF支配下に置かれ、外資に国内経済を乗っ取られ、政治もコントロールされるに至った後のことであるということである(なお、アジア通貨危機と韓国のIMF支配については当ブログ関連記事をご参照いただきたい)。ウィキペディアの記述によれば、K-POPは韓国政府が資金を注入して強力に支援しているとのことである。これは資本と一体化した国による「ごり押し」の国策であるのだ。K-POPは、韓国という国家が外国資本の手に落ち「ネオ植民地」と成り果てた象徴とも言いうるものではないかと思う。

そして何よりも、K-POPに代表される「韓流」が、韓国という国を紹介するものなのではなく、逆に、韓国という国の実態を覆い隠してしまい、あたかも韓国がパラダイスであるかのような幻想を自国のみならず海外の若年層にまで振りまくという点で有害ですらある。上で述べた音楽専門チャンネルChannnelVで見た広告によると、アジア各地で「次世代のK-POPスターを発掘する」という企画が進行しているそうだ。オーディションに合格した若者を韓国に連れて行って、そこで修行させ、K-POPスターとして売り出すという。

当ブログで検証してきたように、IMF支配以降韓国は外資に全面的に門戸を開放した結果、国内政治経済を乗っ取られ、事実上の「ネオ植民地」と化し、二極化が進み、社会問題が山積し、日本を抜く自殺大国となったのである。キラキラと光り輝くK-POPは韓国の1%層の繁栄のみを象徴し、国全体を覆う新自由主義の闇を覆い隠してしまうための、1%層が支配する国家(実態は資本による植民地)による国策なのだとも言える。K-POPは政治経済から切り離された文化という領域に存するものなのではなく、事のはじめから極めて政治的かつ経済的なものとして意図的に作られているものと言える。

冒頭に述べたように、私は排外主義の立場から「嫌韓」を主張しているのではない。しかし、このような巨大資本や資本の支配下となった政府と一体化して「ごり押し」されるK-POPというものに、大いなる違和感と嫌悪感を覚えるに至った。もし韓国の民衆がK-POPスターの国際的な活躍に、ナショナリズム的自尊心を見出そうとし、今おかれている苦難の多い生活の慰めを見出しているのだとすれば、それは根本的な解決にならぬばかりか、却って自分たちを苦しめる現在の政治経済状況を肯定することになりかねないのではないかと思う。韓国民衆にとってK-POPは答えなのではなく、逆に否定的に捉えるべき対象なのではないか。辛辣な言い方ではあるが、むしろ韓国民衆が新自由主義グローバリズムからの独立を求めるのであるのなら、彼らこそがK-POPや韓流といったものを唾棄すべきなのだと私は思う。

ベトナム戦争時の韓国兵のイメージから、ベトナムでは韓国という国に対する反感が強いのかと思っていたが、もはやそうしたものは過去のものであり、若者はK-POPに陶酔し、心理的武装解除をされてゆくのであろう。アメリカナイゼーションの尖兵がコカコーラとマクドナルドということはよく言われることである。コカコーラとマクドナルドが、反米感情よりも、米国を理想郷として憧れる・崇拝するといった心理を植えつけたものだとすれば、K-POPはコカコーラであり、ロッテリアはマクドナルドのようなものと言えるのではないだろうか。

1980年代に『ブッシュマン』(”The Gods Must Be Crazy”)という南アフリカのコメディ映画がヒットした。カラハリ砂漠で文明とは無縁の暮らしを送る住人が、小型飛行機から白人が投げ捨てたコーラの瓶を拾うところから話は始まる。コーラの瓶を持ち帰ったところ、所有をめぐって家族の間で不和が起こる。結局ブッシュマンがコーラの瓶を「世界の果て」に捨てに行くということとなり、その道中にいろいろな出来事が起こるという内容だ。この話を書いた人はわざと「コーラの瓶」にしているのであろう。それが象徴するものは「文明」であり、「資本」であり、「アメリカ化」(その裏では独自文化の破壊が起こる)なのだ。次に『ブッシュマン』がリメイクされるとすれば、世界の果てに捨てられる「コーラの瓶」は「K-POPのDVD」になっているのかも知れない。

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<参照:典型的な台湾ポップ(上)とK-POP(下)のMV>

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