1%新自由主義グローバリズムに対抗する政治思潮を顕在化させる必要性。現代日本の政治はなぜ行き詰るのか。後編

<橋下維新の正体↓>
橋下維新は答えではない! ①ファシストは人々の心に巣食うファシズムに囁きかける
形骸化する民主主義:選挙で選ばれぬ人たちが政治を動かしている
橋下維新は答えではない! ②選挙で選ばれぬ新自由主義者たちによって売りに出される大阪:大前研一と竹中平蔵の影

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(今回は前回の記事の続きです)

[世界で再び勃興する反新自由主義グローバリズムの潮流とその顕在化を妨げるマスコミ]

9.11以前には反グローバリズムの運動が欧米で盛り上がっていたが、9.11後その運動は下火になっていた。ところが近年再び反新自由主義グローバリズムの運動が世界中に広がってきている。「99%対1%」の対立構図を明確に掲げ、金融資本とそれが作り出す格差を抗議の対象とした「ウォール街を占拠せよ」運動は、当初日本のマスコミは米国における出来事として対岸の火事の如く報じていたが、「占拠せよ」運動が全米各地・世界各国(そして日本にも)飛び火するに及んで、殆ど報じなくなってしまった。動画サイトYouTubeには夥しい数の動画がアップロードされており、ここで情報を検索することは可能であるが、大手メディアでは殆ど報じられることがないという異常事態になっている。またゴールドマン・サックスなどの暗躍で混乱に陥った欧州でもギリシア・イタリア・スペインで激しいデモが起っているのであるが、日本では大きな事件として殆ど報じられていない。
現在進行中のフランス大統領選挙も、現職のサルコジは金融界に近い新自由主義者であり、言わば1%支配層の代理人であるが、対立候補のオランドやメランションが99%側に立つということが争点として立ち現れてきている。当然サルコジは自らが1%の代理人であるなどとは口が裂けても言わないのであるが、対立候補が99%の側に立つという事を強調することで自ずとサルコジの1%支配層の代理人性が浮かび上がるのである。オランド支持を表明している仏人口学者のエマニュエル・トッドのインタビューにはこうした点が率直に語られている。日本の報道では単にオランドが富裕層への課税強化を公約にしたと報じるだけで、こうした本質にまで切り込んでいないのが現状だ。

日本のマスコミはこれらの対立軸が顕在化するのを意図的に妨げているのだと思う。海外のこうした動きの本質も国民に決して伝えることはないのではないだろうか。なぜなら新自由主義下でグローバル資本によって引き起こされた1%支配層と99%被支配層の問題も日本の問題も同根であるからだ。日本においても一時期「格差」の問題を政治問題としようという機運のあった時期があるが、結局「格差」そのものを標的にした「反格差」ではなく、「貧困」への対処療法としての「反貧困」に問題が矮小化され、「反格差」は政治の主だったイッシューからは外されてしまった。「貧困」は「格差」に由来するものであるはずなのに、あたかも貧困層だけの特殊・個別の問題として扱われて切り離され、その本質部分である「格差」の問題には結局メスが入れられなかったのだ。「貧困」問題は新聞の社会面で扱われる事柄とされ、政治面では扱われない事柄となってしまったのだ。

1%支配層にすれば、99%の民が分断されていることで彼らの支配は安泰なのだ。右翼・左翼という時代遅れの軸で分裂し、地域で分裂し、世代間で分裂し、職業・地位で分裂している方が好都合なのである。
逆に99%の民が団結すれば、1%の支配などすぐに覆されるのだ。しかし、言葉でこう言うのは簡単であるが、それを実現するには非常な困難を伴うのが現実だ。それほどにまで我々国民の分断とアトム化は深刻なものであるということを我々はまず認識しなければならない。
一部「保守」を自任する集団が「愛国」の名の下に行うヘイト・キャンペーンや、労働組合や社会的弱者などに対する攻撃は、ベクトルが建設的方向に向かわず負の方向にのみ向かい、国民の分断を促すことにしかならないことは自明であり、結局は1%支配層の思う壺となるもので、事態の打開にならないどころか却って有害ですらある。その政治的効果を考える際、彼らが1%支配層を助けるための分断策を行う確信犯である可能性すら疑っていいのではなかろうか。

いま我々99%側の庶民に必要なのは、分断を克服し、1%支配層のみを潤す新自由主義から国民の生活を守るための救国戦線を緊急に作ることなのだ。状況を冷静に分析しておられる皆様にはとうにお気づきのことと思うが、ピントの外れた「保守ごっこ」「革新ごっこ」といったものに戯れている余裕はもはやないのである。残されている時間は少ない。1%側は着々と次の手を打っている。党派・業種・地域を超えた反TPP国民運動とこれを軸とした政界再編を我々の側から促していく必要があるのだ。
当面はデフレ脱却を主張し、消費税増税やTPPなどのデフレ悪化・景気悪化を招く政策に反対すれば仲間は増えるはずだ。動きの鈍い政治家たちの自発的な動きに期待するのではなく、こちら側から対立軸を提示して訴え、積極的に政治家たちに働きかけ、尻を叩いていくべきなのだ。政界再編が起るかどうかはわからないし、再編があったとしても選挙で負けるかも知れない。しかし、我々がいまなすべきことは、マスコミの洗脳に抗しつつ、新たな新自由主義に対抗する思潮を、試行錯誤を経ながらもうねりとして起こしていく以外にない。
団体・党派を超えた反TPP運動に加えて、新自由主義者たちに乗っ取られ政治を私物化され、公共領域を売りに出されようとしている大阪の方々にぜひ立ち上がっていただきたいと希望する。彼らの野望は大阪に留まることはない。大阪を売りに出したあとは、近い将来日本そのものも売りに出すのだ。まだ全国に火が燃え広がらないうちに、この新自由主義集団を叩き潰して大阪を守ると同時に、新自由主義者たちの野望も打ち砕いていただきたい。反橋下維新の動きは必然的に反新自由主義の運動となり、この国に取り付いた寄生虫のエージェントであるBKDたちから日本を守る運動になるのだ。今年11月末のリコール申請解禁に備えて、今から準備を始めるべきである。リコールすべき理由は多々あるが、私はすでに橋下維新の重要な問題点をこのブログで述べた。これだけでリコールに十分値するだろう。早くしないと大阪は売りに出されてしまう。

[国民の分断を修復するという作業・99%側であるという共通認識を広めることで新自由主義者たちの企みを挫く]

国民の分断を克服する作業というのは容易なものではないということを述べた。それは現代日本を広く覆っている「自分さえ良ければそれでよい」などといった個々人にしみついた内的価値を大きく転換することが求められるものであるからだ。これは具体的に目に見えるものではないだけに、よりいっそうの困難を伴うものであると言わざるを得ない。よってここからの記述もいささか抽象的なものとならざるを得ないことをご容赦願いたい。
左翼であれば右翼嫌いであろうし、右翼であれば左翼嫌いであるだろう。ある種の傾向を持った著書やホームページなどで先入観を植え付けられることもあるし、テレビ・新聞・雑誌などの言説に知らぬ間に感化されている場合も多い。新自由主義者たちによって「既得権益者」と攻撃されたある団体に対して否定的な印象しかどうにも持てなくなることもあるだろう。
新自由主義者たちは人々のルサンチマンに巧みにつけこもうとするのだ。彼らの言説に同調した瞬間、その人の人間性は少しずつ恨み・妬みといったものに知らぬ間に汚されていくのだ。新自由主義者は「既得権益者」への批判を理屈付け正当化する。その批判はご尤もなものであるかも知れない。しかしその説を支持する人は、理性的な判断によってそれを支持しているのか、あるいは恨み・妬みをたきつけられ煽られているだけであるにもかかわらず、新自由主義者の「理屈付け」によってその感情を本人は「義憤」として正当化しているだけではないのかを冷静に見つめ直すことが求められる。

<①「同じ庶民の側」という発想で分断の陥穽から逃れる>
たとえば敢えて例を挙げれば農協という団体がそうだ。私は農業関係者ではないし、農協を美化するつもりなどない。様々な問題もあることも事実なのかも知れない。しかし、よくよく人々に考えていただきたいと思うのは、自分自身や自分の属する集団は他を非難しうるほどに身奇麗であるのかということだ。そして農協を口汚く罵る新自由主義者たちがそんなに清廉潔白な聖人君子の類であるというのだろうか。彼らが主導した郵政民営化の裏で一体何が行われようとしていたのかを思い起こしていただきたい。
そして次に考えていただきたいのは、農協という団体の裏には農業によって日々の糧を得て生活を営んでいる個々の人々があるということだ。「農協は既得権益集団だから潰してしまえ」という言説は即ち「農家の人々を潰してしまえ」と言っていることに等しいのだ。土建屋にしろ、労働組合にしろ、そこで暮らす生身の人間(普通のおっちゃん・おばちゃん)がいるということを認識すべきなのだ。
我々はまず、新自由主義者たちの「既得権益者レッテル貼り攻撃」に対する心理的な防護壁を築き、彼らのレトリックそのものを無効化していかねばならない。攻撃されている人たちは、特殊な集団の人々ではなく、自分たちと変わりない日常生活で出会う99%側の庶民なのだという認識を持つべきなのである。
そして99%側の庶民を分断・相互憎悪させるような言説そのものを拒否し無効化させると同時に、99%側の人たちを攻撃している新自由主義者たちそのものや、それを垂れ流すメディアに対して反撃をすべきなのである。99%側の誰かが新自由主義者たちに攻撃され、分断されようとするとき、それがたとえ自分に直接利害関係がなかろうとも、声をあげていくべきなのだ。
新自由主義者たちの戦術は単純である。彼らが標的としたとある集団に尤もらしい批判を仕向け、マスコミが特集を組んで加担し、人々を分断し、その集団に人々の憎悪を振り向けて孤立させた上で、各個撃破していくのだ。まず我々は分断されぬようにすることが肝要だ。分断さえされねば、彼らの企みは成功しない。そして分断を喚起する言説に反撃し、99%側の仲間を守るという姿勢を身につけなければならない。そうすることでいつしか自分自身が攻撃の対象に選ばれたときも守られることになるだろう。

<②ネオリベの「既得権益者」攻撃で一体誰が利益を得るのか>
そして新自由主義者がある集団を「既得権益者」と名付けて攻撃するとき、その裏には何があるのかを読み解くことが必要だ。農協が攻撃される裏には何か怪しげな農業多国籍企業の策動がないのだろうかといった点に注意すべきである。つまりある「既得権益者」を解体することが即ち誰か別の集団の利益になるのではないかということを疑ってみるべきなのだ。そこが解明できれば、新自由主義者たちへの有効な反撃となりうるだろう。
例えば橋下維新は黒字経営をしている大阪市営地下鉄の民営化を主張しており、新自由主義者たちは「公務員の非公務員化」とか「行政のスリム化」などと尤もらしい理屈を述べているが、それによって誰が利益を得るのかといったことを追及していくべきなのである。マスコミも加担した壮大な「郵政民営化詐欺」から我々は教訓を学ぶべきである。

<③マスコミへの抗議・働きかけと大手新聞のボイコット>
現在大手新聞はこぞってデフレ下での消費税増税とTPP加盟を訴えている。狂気の沙汰としか思えない。月に4千円近くものカネをこのような有害な洗脳報道を行う大手新聞に差し出して、彼らを支える理由は庶民の側にはない。地道な活動をしているフリーランス・ジャーナリストに寄付するほうが余程世の中のためになると言える。インターネットがあればニュース記事は無料で読めるのだ。
またテレビは不偏不党が義務付けられているにもかかわらず、数々の偏向報道や印象操作を行っている。こうした偏向報道を見つけるたびに、すぐさまテレビ局に抗議をすることも重要である。抗議するほどでもないと感じる場合はただ自分の意見を伝えることでもよいと思う。
またその偏向報道を行う番組のスポンサー企業に「問い合わせ」(* スポンサーに対しては抗議ではなくあくまで「問い合わせ」なので丁寧な言葉遣いで)の電話をすることも有効だ。おかしいと感じたらすぐに行動すべきだ。マスコミを野放しにしてはいけない。つけあがるだけだ。

<④政界の動きを気にせず、党派を超越した運動の核を作る>
ここまでは個々人で取り組めることを書いたが、これだけでは無論不十分である。つい先日大阪在住の人と話をしたが、大阪ではどうも橋下はおかしいのではないかという気分が出てきているとのことだった。明確におかしいと気付いていなくとも、潜在的におかしいと感じはじめている人は増えているはずだ。橋下に限らず、原発事故後のマスコミの報道や、消費税やTPPや政治に関する報道にも漠然と疑問を抱いている人は増えてきていると思う。いきなり運動を起こすことは無理であっても、身近な人々とこうしたことについて話してみることから始めてはいかがだろうか。潜在的に人々が感じているものを顕在化させていくことで、問題意識を共有する人の輪が広がると思う。ツイッターやSNSでつぶやいてみるのも、情報を人々と共有する第一歩である。
その段階が過ぎれば、人々の衝動はリアル空間において運動を形にしようという方向に向かうだろう。その際、党派性や自己主張を前面に押し出すと必ず失敗するだろうから、くれぐれもご注意願いたい。党派性を強調したその瞬間から、新たな分断が始まるからだ。なるべく中立的な人たちがコアになり、そこに立場を超えて人が参加するのが望ましいだろう。
本来であれば、例えば大阪市を例に挙げるなら、市議たちが党派を超えて協力し訴えるプラットホームでも作れば、もっと形になりやすいと思うのだが、大阪に関しては時間がないので、政治家の動きを待たずに市民の側が積極的に動いていくべきである。こうした動きが顕在化すれば、上からの政界再編ではなく、下から促す政界再編に繋がるだろう。

人々が行動を起こすことで、たとえそれが最初は小さなものであっても、ジャブのように徐々に効いてくると思う。私がブログで度々取り上げている小沢冤罪事件でも、ごく一般の庶民がインターネット上の呼びかけに応じて集まってデモを行い、抗議の声を上げ、検察・検察審査会や最高裁事務局の疑惑を追及し、数々の偏向報道を行ってきたマスコミを糾弾するまでに至っているのだ。
最初はなかなか形にできなくとも、そこで諦めずに積極的に声をあげていくべきである。同じ気持ちを共有する人々が増えれば、潜在的であったものが顕在化し、具体的な形になっていくはずだ。目を覆いたくなるような日本の危機と人々の分断・アトム化を考えれば、多大な困難を伴うことが予期される。しかし、であるからこそ、多くの国民が潜在的に気付く可能性があるとも言えるのだ。ここで踏ん張らなければ、日本も終わりだろうと思う。

どうしてこんなことになってしまったのだろうか。新聞の社説やテレビに登場する評論家やコメンテーターや財界の言うことに今まで従って、我々の生活はよくなったであろうか。左右の対立軸の中に答えはあったというのだろうか。答えが否であるならば、それらは茶番ではないか。
原発事故に見られるように、エリートの側では誰も責任をとらない一方、庶民の側は「自己責任」を宣告されるのだ。一部の人だけが極端に潤う一方で、毎年3万人以上の人々が失意のうちに自殺を遂げ、残された庶民は死んだ魚のような目をしてシステムから振り落とされぬよう日々の生活にやっとしがみついているだけなのだ。また、こんな社会を次世代に残してよいのだろうか。これは社会としての体をなしているといえるのであろうか。我々庶民は新自由主義にかぶれたエリートの裏切りとマスコミの欺瞞にいい加減気付き、立ち上がるべきなのだ。ふざけきったテレビ言論にそろそろ終止符を打とうではないか。1%に私物化され食い物にされている国家を奪還しようではないか。
いまや世界の多くの人々が新自由主義の欺瞞に気付き、声をあげはじめている。TPPで「バスに乗り遅れるな」と1%側が叫ぶのは、TPPの実態が参加各国の1%BKD支配層の支配固定化協定であるからに他ならない。さんざん国民を欺いてきた彼らはTPPというバスに早く乗って逃げ切りたいのだ。我々庶民は世界各地で起ってきている反新自由主義運動というもう一つのバスに乗り遅れてはならない。右であっても左であってもよいのだ。目の前にある脅威である新自由主義をひとまず打倒しよう。喧嘩はそのあとで続ければよいではないか。

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