ブログ半休止のお知らせ:藤原新也氏の村上春樹氏批判を読んで

皆さまへ、

今後も時々何か書くこともあるかと思いますが、いろいろと思うことがあり今までのような形でのブログ更新を休止することにしました。厳密に言えば半分休止のような状態になると思います。

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先日、村上春樹氏がカタルーニャ国際賞受賞の際に行ったスピーチ「非現実的な夢想家として」は大きな反響を呼んだ。もう既に全部お読みになられた方も多いことと思う(村上氏スピーチリンク1リンク2)。私は村上春樹という作家を特に好きでも嫌いでもないが、スピーチそのものは拍子抜けするほど平易な言葉で語られ、その分わかりやすく良かったのではないかと思う。簡単なことを難解な言葉で語るよりも余程良心的である。このスピーチには賛同する声が大きいようで、報道ステーションで寺島実朗氏が述べていた原発推進派の立場からの反論は醜悪なものであったようだ(参照リンク)。

しかし、藤原新也氏による村上スピーチへの批判はある一面を言い当てていて面白いと思った。ジャーナリストで参議院議員の有田芳生氏がツイッターで紹介しており、それで知ることができた。私は若い頃、村上氏よりも藤原新也氏の方により影響を受けたようで、藤原氏の本に騙された(?)ことも手伝ったのか、アジア諸国を貧乏旅行した。まあ旅した年代も異なることもあるだろうが、「全然本と違うじゃないか。畜生」などと思ったものだが、旅に出て良かったと心底思っている。リアルとは何かを知る貴重な体験であり、この経験は死ぬまで消えることはないと思う。何の因果か現在アジアの国で暮らしている。

さて、藤原氏は「村上春樹の空論」で以下のように述べて村上氏のスピーチを批判している。以下藤原氏のホームページより引用(なおこのページには藤原氏のエッセイへの批判を受けてのコメントも書かれているのでぜひお読みいただきたい)。

<引用開始>—————–
「核の被害をこうむった唯一のわたしたち日本人は核に反対すべきだった。だが今日本は世界第三位の原発大国だ。なぜそのような結果になったかというと、それは効率優先社会というものが作用している」
このステロタイプな分析が世界に名だたる作家の言葉かと耳を疑う。
日本の地獄とはあまりにも遠く離れた安全圏の中での分析が空しい。
外国に住んでジョギングしているらしい彼はもうこの過酷な現実世界の中で”生きて”はいなのではないかと一読者として残念に思う。
いやしくも表現者たるもの、地獄の片鱗にでも触れて語るべきだろう。
そこに片足を突っ込み、地獄の中で毒矢に射られた者たちの心を知るには時には同じ線量いっぱい吸い込み、いかなる無記が可能なのか、それを探しまわる必要も生じようというもの。
文学している場合ではないのだ。

<引用終わり>—————–

「外国に住んでジョギングしているらしい」のくだりに関して藤原氏は「なおジョギングに関しては個人的趣味であり、他のジョガーを貶めることになるので削除する」としてホームページの文章から削除されているが、この文章の持つ「毒」を維持するために上の引用文であえて再現した。

村上氏のスピーチに関しては、「世界的に名声のある人がよく言ってくれた」と評価する方も多いし、私もそう思う。しかし、どこか上滑りで空疎だという印象を受けた人もいるだろう。藤原氏の批判はそこを突いたものだと思う。

慶応大学の堀茂樹教授がツイッターでこの藤原氏の批判を批判しており興味深い。藤原氏の批判はややもすれば「現場に行かない者が語るな」という言論封じになってしまう。だが藤原氏はそうした言論封じといった上っ面の薄っぺらい意味合いで、多くの人から批判されるであろうこの刺激的な文章を敢えて発表したのではないと思う。村上氏のスピーチが正論でありながらもどこか上滑りな印象を与えるということを、敢えて言葉で表したようなものではないのだろうか。藤原氏本人が3.11以後どのような活動をしておられるのか私は知らないが。

さて、私は別に表現者でも文学者でもプロの物書きでも何でもなく、外国で優雅と呼ぶには程遠い生活をしているのだが、最近いろいろと考えるところが多かった。そんな中、この藤原氏のエッセイを読んで、ブログを休止しよう、少なくとも従来のようには書かないでおこうと決めた。

このブログは海外にいる私が、壊れゆく日本に強い危機感を持ち、外から見える民主主義国家として既に末期症状を呈している日本の問題点について語り、自分が行きたくても行けないデモに行こうと呼びかけるという非常におかしなブログとしてスタートした。

藤原氏に似た言い回しで「自分は安全圏にいながらデモに行けなどと言う」といった批判が私のような海外ブロガーに向けられてきたことも重々承知しているが、今日に至るまでさして気にも留めてこなかった。なぜならそうした批判をしている人間は、本人が問題に対して具体的に行動を何もせず、ただシニカルに毒づいているだけの人である場合が多いからだ。また外国にいるから「安全圏」などというのは全く的外れであり、別のリスクを伴うものであることは海外生活をしている人なら十分わかることである。

海外から敢えてブログを書く気になったのは、恐らく日本で生活する多くの人がマスコミの演出する「洗脳」ともいうべき演出された「日常」の中で気づくことのない国のシステムの異常さに容易に気づく位置にたまたまあったからであり、お世話になった日本の方々への恩返しのつもりであった。その視点での「リアルさ」は維持してきたと思う。このブログを昨年10月に始めてから、驚くほど多くの皆様にブログを読んでいただくことができ、またネットを通じて多くの熱意をもった方々と間接的にではあるが交流させていただくことができ、大変感謝している。

6月11日に全国・海外で一斉に行われた脱原発デモには多くの方々が参加され、私もその模様をネットで拝見し、感無量である。参加された皆様には頭が下がる思いでいっぱいである。震災後、多くの国民がそれまで知ることのなかった様々な虚構の仕組みが明らかになり、王様は裸であることは広く知れ渡った。あとは「王様は裸だ」とさらに多くの人が叫ぶ段階になったと思う。茶番を是とするか拒否するか、後は日本に住む人々が判断することが求められるのだろうと思う。

最近いろいろと考えていたのはある意味個人的な問題で、自分が将来的に日本に暮らすのかどうか、日本再建に貢献できるのかどうかといったことがわからない宙ぶらりんの状態で、史上最悪の放射能汚染事故が現在進行形で進んでいる地獄のような状況に関して、私の言葉は上滑りになるのではないかということだった。私はプロの物書きではないので、こうした事柄に拘泥すべきではないのかも知れないが、自分自身が文章を紡ぐ上でどこかで納得できぬものを感じていたのかも知れない。政治に関してゴタゴタ偉そうに語ることはできても、現時点で私自身の生活が直接に放射能という目には見えぬが具体的・物理的にある脅威に脅かされているわけではない。危険を想像することはできても、直接感じることはない点で、文章を書いても、本当にリアルなものにはならないと感じるのだ。震災以後はなるべく重要情報拡散のみに徹してきたのもそうした事情がある。頭の中だけで考えられた言説には力がない。身体感覚を伴って力を持つのだと思う。その両方のバランスが重要だろう。

そんな中、今回の藤原氏のエッセイを読み、極端なきらいはあるものの氏の言わんとすることを感じることができた次第である。日本には近いうちに一時戻りたいと考えているが、しばらく力のこもる言説が吐けるような状況になるまでブログを休むことにする。が、言いたいこと・言わねばならぬことが湧き出てきたら書くことにする。なおツイッターの方は今後も続ける。

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