不条理に対して憤慨せよ! 仏レジスタンス戦士からのメッセージ!

4.10デモUst生中継→ 芝公園デモ・ 高円寺デモ

ドイツ気象局(DWD)(トップページ中段の画像[Loop Starten]をクリック→放射能拡散予想閲覧可)
オーストリア気象地球力学中央研究所(ZAMG)([Neues]をクリック→次のページの新しい日付のニュースをクリック→次のページの一番下[DOWNLOAD]をクリックすると拡散予想閲覧可)
全国の放射能濃度一覧 ・ 水道の放射能濃度一覧 ・ 雨の放射能濃度一覧
フランス・メディア・ニュース(仏メディアの震災原発関連記事が日本語で読めます)
原子力資料情報室
武田邦彦・中部大学教授ページ
電力総連組織内候補者リストとのこと

全国同時多発デモとなってきた!近いところで参加しよう!詳しくは↓をクリック!

にほんブログ村 政治ブログへ

[社会の不条理に対して憤慨せよ!]

93歳の元レジスタンス戦士ステファン・エッセル氏(Stéphane Hessel)が書いた『憤慨せよ!』(“Indignez-Vous!”)という本(パンフレット)がフランスでミリオンセラーとなり、米国・英国・イタリア・ポーランドなどでも翻訳版が出されるという話を以前のブログ記事でお伝えした。この度、2月に出版された英語版(“Time for Outrage!”)を入手することができたので、その内容をご紹介したいと思い、大急ぎで訳出した。まだ半分しかできておらず、かつ急いで訳したものであるから、何か間違いや根本的な誤解があるかも知れないが、私がこのように解釈したものとしてご了承いただきたい。厳密さを求める方はぜひ原版か英語版も出ているのでお買い求めいただきたい。後半部分の訳もでき次第、当ブログでご紹介したいと思う。

Stéphane Hessel

若き日にド・ゴールの呼びかけに応じレジスタンスに加わったエッセル氏は、その後世界人権宣言の起草にも携わることになる。氏の行動原理はレジスタンスと世界人権宣言に沿ったものであり、自由・平等・博愛というフランスのトリコロールを体現したような人物である。

エッセル氏は今日のフランス社会においてレジスタンス精神が攻撃にさらされているとして危機感を表明している。氏は言う。

レジスタンスが熾烈に戦いを挑んだ相手である資本の力が、そのカネの僕である政府の最も高い連中とともに、かつてないほど巨大で、利己主義的で、恥知らずとなったからにほかならない。今は民営化された銀行は、まず自分たちの利益や役員の莫大な報酬を第一に考え、社会共通の利益には関心を払わないように見える。金持ちと貧困者の格差はかつてないほどに拡大し、競争と資本の循環はかつてないほどに奨励されている

そして氏は、移民へのひどい仕打ち、不十分な社会保障、金持ちに支配されるマスコミ、貧富の差の拡大、金融市場の国際的な独裁、といった現代の不条理を許容せず、それらに対して「憤慨せよ!」と若者たちに呼びかけるのである。憤慨することは抵抗を呼び起こす。少数でもよいから憤慨して立ち上がれと訴える。

また氏は憤慨する能力を人間の持つ重要な要素と指摘し、諦めや無関心は憤慨する能力を放棄するもので最悪な態度であると述べている。

[日本の不条理に対する憤慨!]

当ブログは立ち上げてから半年近くとなった。その当時からこのブログを読んでいただいている皆様はもうお察しのことと思うが、このブログを始めた理由は、日本の権力中枢や経済界、マスコミがあまりにも劣化腐敗したことに気がつき、とりもなおさず「憤慨」したからである。このままだと、日本の民主主義は外殻だけで中身のないものとなり、死滅するという危機感から、何か少しでもできることをと考え、一文の得にもならないとは知りつつ、このささやかなブログを立ち上げるに至った。

既得権益勢力の腐敗と横暴が顕著に現れたのが、官僚・検察・マスコミ、さらには正体不明の検察審査会なるものまで利用され、総動員で行われた小沢一郎氏への国策捜査であった。小沢氏が掲げる「国民生活が第一」の政策を断行されると、既得権益勢力の基盤と利権は大きく損なわれることとなる。そのために彼らは自民政権末期から、小沢氏の政治生命を抹殺すべく国策捜査を開始した。政権交代後も既得権益勢力は鳩山政権潰しを行った。自民政権下の新自由主義に疲弊した国民が待望した政権交代はこうして潰されることとなった。

菅政権は民主党政権であるが、これは既得権益勢力が担ぎ出した政権で、小沢・鳩山グループという国民生活派を排除した上で、TPP推進や消費税増税・法人税減税、政治主導確立法案取り下げ、郵政資産をハゲタカ・ファンドから守るための郵政改革法案の無視など、政権交代時のマニフェストを事実上反故にし、それとは全く逆行する少数勝ち組既得権益エリート層を利する政策だけを推し進めようとしている。自民党と同等かそれ以上に新自由主義的な政策を推し進め、一般庶民を疲弊のどん底に突き落とそうとしているというのが菅内閣及び民主党を専横している現民主党執行部の本質であると思う。そして選挙時の国民との約束であるマニフェストを反故にするなどという、議会制民主主義を踏みにじる行為を菅内閣は行った。こうしたことを許してはならないと私は思う。(菅政権が推し進める新自由主義「平成の売国」TPPの危険性と財界・エリート支配層の劣化について、当ブログTPP三部作記事で述べているのでご参照いただきたい。その①その②その③)

今回の原発震災があって脚光を浴びたのが、検察による佐藤栄佐久・福島県前知事への捜査である。福島県民の安全を第一に考えた佐藤前知事は、原発企業や官僚に抵抗したのであるが、後に検察によるでっちあげのような捜査で逮捕され失脚した。小沢氏への弾圧と構図が酷似しており、鈴木宗男氏への一件もあわせて私は検察の国策捜査であり、冤罪であると思っている。

そして今回の原発震災によって、原子力推進をする官僚、電力会社などの原子力産業、それを擁護する財界、そのカネに汚れた政治家・マスコミ・御用学者・評論家・タレントなどの癒着と腐敗ぶりが連日明らかになってきている。

これまで、警告にも耳を傾けず、「放射能は漏れないから安全」と垂れ流し、原発震災後放射能が現実に漏れ出し、山河や海を汚染する現実を目の当たりにしても、彼らから一向に謝罪の言葉は聞かれない。それどころか、放射能の危険性を十分説明せず、あたかも放射能が安全なものであるかのような宣伝がなされている。誰も潔く非を認め責任を取ろうとしないのである。このような無責任な大人たちを見て育つ子どもの教育にも非常に悪いだろう。何の罪もない子どもたちに我々は負の遺産以外に残すものがあるのだろうか。ぜひ多くの皆様にこうした腐敗・不条理に対して無関心になるのではなく、純粋に情熱的に憤慨していただきたいと願う。

エッセル氏の言葉は心に響いてくるものがある。故にフランスでミリオンセラーになったばかりでなく、その他の多くの言語に翻訳され、世界で広く読まれている。この点で氏の主張は普遍性を持っているといえるのではないだろうか。日本の政治社会環境も酷い状況となった今、きっと多くの人にエッセル氏の純粋で一本気な言葉が伝わるのではないかと思う。

英語版が公式に発売される前は、ブロガーが英語に訳して紹介していた。私も一人でも多くの方々に一読いただきたいと思い、非力ではあるが、私なりの解釈でご紹介させていただく。公式なものではないので私の個人勉強ノートという形にさせていただき、転載は不可とさせていただく。間違いや誤解があるかも知れないので、厳密さを求める方は、フランス語原版や英語版などが購入できるので、そちらをあたっていただきたい。以下のものは英語版を参照している。テキスト中の註は省略している。

まだ半分しかできていない。

にほんブログ村 政治ブログへ

個人勉強ノート *以下転載不可>——————————

『憤慨せよ!』


1944年3月15日の遺産

93歳。最終章も近づいた。幕切れはそう遠くない。私は自分の政治生活の基礎、67年前のレジスタンスとレジスタンス綱領の全国抵抗評議会、を総動員することができ、どれほど幸運であっただろう。ジャン・ムーランのおかげで、占領下フランスの、全ての運動、政党、組合といった全ての要素を全国抵抗評議会の下に結集し、「戦うフランス」とそれが認める唯一の指導者シャルル・ド・ゴールへの忠誠を宣言した。私はロンドンにいて、その地で1941年3月にド・ゴールに加わった。その頃、評議会は彼らの綱領の仕上げを終えたところで、それは1944年3月15日に採択された。それは、私たちの国の現代の民主主義の基礎を与えるところの自由フランスの原則と価値の集合体であった。

私たちはこれら原則や価値を今日これまで以上に必要としている。私たちの社会が誇りに思いうるものであるかどうかは、私たちひとりひとり全てにかかっている。(その社会というのは)記録されることのない労働者と国外追放の社会や、移民を疑わしく思う社会や、年金その他の社会安全保障での収入が疑問に付される社会や、メディアが金持ちの手に落ちた社会のことではない。私たちが本当にレジスタンス全国抵抗評議会の遺産を受け継ぐものであるならば、こうしたことの全ては容認されることを許してはならない。

1945年以降、すなわちあのすさまじい悲劇の後、レジスタンス全国抵抗評議会勢力は野心的な復興をフランスにもたらした。レジスタンスが希求した、「全ての市民が労働によって生活の糧が得られないどのケースにおいてもそれを保障する包括社会保障案」及び「尊厳をもって老いた労働者たちが生命を終えるための退職手当」という社会セーフティ・ネットが作られた時のことを思い起こして欲しい。綱領が主唱したところの「独占されていた主要生産手段、一般労働者の果実、エネルギー資源、鉱物資源、保険会社および銀行は国民国家へ返上し」「経済運営からの経済的財政的封建主義を取り除くための真の経済的・社会的民主主義を確立する」に沿って、電気・ガス・石炭というエネルギー資源は、大銀行とともに国有化された。一般的な利益は個別の特殊な利益に先立って分配されなければならず、労働者の世界で作られた富は資本の力に先立って公平に分配されなければならない。「個人の利益は公的な利益よりも劣ることを保証するための、ファシスト国家のイメージにあるような既成の職業集団の独裁とは異なるところの理性的な経済機関」をレジスタンスは提唱した。フランス共和国臨時政府 (1944-6)はこの理想を実現するための仕事に着手した。

真の民主主義には自由な報道が必要である。レジスタンスはこのことを理解しており、「報道の自由と尊厳、国家・資本勢力・外国勢力からの独立」を要求した。1944年の出版法によってこれらの目的は前進した。しかし、これらは今日危険にさらされている。

レジスタンスは例外なく「フランスの子どもたち全てが最も先進的な教育を受けるための実質的な機会」を要求した。しかし、2008年に提案された改革案はこれに真っ向から反するものである。若い教師たちは今日に至るまでこの改革案を実施することを拒否してきた。そして私は彼らの行動を支持する。彼らは怒り、「従わなかった」。これらの改革は民主共和制における教育の理想とはかけ離れたものであり、カネ社会にひどく恩義を受けたものであり、創造的・批判的精神を育むことができないものであると彼らは判断した。

レジスタンス綱領の核となるこれら社会的権利の全ては現在攻撃にさらされているのである。

憤慨は抵抗を呼び起こす

国家はもはやこれらの社会事業を賄うことができないのだと彼らは私たちにぬけぬけと言う。しかしながら、ヨーロッパが廃墟に埋もれていたパリ解放の時以来、富は莫大に作り出されていったというのに、どうしてこれらの達成をもたらしたカネが今日不足しているなどということがあろうか? それはまぎれもなく、レジスタンスが熾烈に戦いを挑んだ相手である資本の力が、そのカネの僕である政府の最も高い連中とともに、かつてないほど巨大で、利己主義的で、恥知らずとなったからにほかならない。今は民営化された銀行は、まず自分たちの利益や役員の莫大な報酬を第一に考え、社会共通の利益には関心を払わないように見える。金持ちと貧困者の格差はかつてないほどに拡大し、競争と資本の循環はかつてないほどに奨励されている。

レジスタンスのもととなる動機付けは、憤慨であった。レジスタンス運動および自由フランスの戦闘部隊のベテランである我々は若い世代に呼びかける、レジスタンスとその理想を復活させ、進展させよと。我々は皆さんに言う。継承せよ、前進し続けよ、憤慨せよ! 政治的に責任ある地位にある者たち、経済的実力のある者たち、知識人たち、事実上の社会全体は、平和と民主主義の非常な脅威となっている現在の金融市場の国際的な独裁に対して諦めたり、打ちのめされたりしてはならない。

私は皆さん、ひとりひとりそして全ての皆さんに憤慨する理由を持っていただきたい。これは貴重なことである。ナチズムが私にそうしたように、何かがあなたを憤慨させるとき、それはあなたが戦士となり、強靭になり、戦いに加わったことを意味するのだ。あなたは歴史の運動に加わり、その歴史の偉大な流れは私たちひとりひとりが加わることによって流れ続けるのだ。歴史の流れはより公正で自由へと向かう-もちろんそれは鶏小屋のキツネのような抑制の効かないものではない。1948年に採択された世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)はまさに普遍的(universal)なものである。もしあなたがこれらの権利を有しない人に出会ったなら、その人がそれらを獲得できるよう同情し助けてあげなさい。

歴史に関する2つの見解

何がファシズムを引き起こしたのか、そして、ファシズムおよびヴィシー政権に何ゆえ我々がとりつかれたのかの理由について考えるとき、富裕層がその利己主義によってボルシェビキ革命を恐れたからであると私には思われる。彼らはその恐れに支配されるがままとなった。その当時のように今私たち全てに必要なのは、活動的な少数の立ち上がる人たちであり、それで十分である。私たちはパンが膨らむためのイーストとなるのだ。1917年に生まれた私のような大そうな年寄りの経験と、今日の若者のそれとは明らかに異なる。私はしばしば教師に頼んで学生に話をさせてもらうのだが、こんなことを彼らに言う。君たちには我々のときのような、運動にかかわる同じ明らかな理由はない。我々にとってレジスタンスとは、ドイツの占領を受け入れないこと、敗北を受け入れないことを意味した。それは比較的単純明快であった。それゆえ次に来たのはアルジェリアの非植民地化とアルジェリア戦争だった。アルジェリアは独立を獲得しなければならなかった。それは明白だった。スターリンに関しては、1943年の赤軍のナチスに対する勝利に我々は歓呼した。しかし、1935年のスターリン主義者による大量の審判について知るにおよび、このような許しがたい全体主義に反対することが必要であり明白となった。共産主義はアメリカ資本主義への均衡であったものの、それは必要であった。私の長い人生は憤慨のための安定した一連の理由を与え続けたのである。

これらの理由は感情から来たというよりは、かかわりを持ち関与しようとする意志から来たものである。高等師範学校の若い学生として、私は自分の先輩であるジャン=ポール・サルトルに影響を受けた。『存在虚無』よりも『嘔吐』と『壁』の方が私の思想形成に重要だった。「個人としてのあなたは責任がある」とサルトルは我々に教えた。それはリバタリアンのメッセージであった。人間の責任は外部の力や神に託してはならない。反対に、人は彼ら個人の、個別の人間の責任に自ら関与しなければならない。1939年私がパリ・ウルム通りの高等師範学校で勉強を始めた頃、哲学者ヘーゲルに熱中していた。私はモーリス・メルロー=ポンティのゼミに出ていた。彼のクラスでは具体的な経験および身体の感覚(五感としての感覚よりも意味としてのそれ)との関係を研究した。しかしながら、望ましい全てのことを望めば可能となるという私の天性の楽観主義は私をヘーゲルへと引き戻した。ヘーゲル主義は人類の長い歴史を意味のあるもの、すなわち人類の自由を一歩一歩前進させるもの、として解釈する。歴史は、一連の挑戦に直面し乗り越えていくという一連の衝撃によって形成される。社会は、最終的には完全なる自由を達成して進歩し、何らかの理想的な形で民主国家を達成するだろう。

Angelus Novus (1920)

もちろん、自由の進歩やより多くを求める獲得競争といったものを破壊的な旋風と捉える歴史観も存在する。父の友人は歴史をそう評した。この人は父と共にマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』をドイツ語に翻訳した人だ。私が話しているのはドイツの哲学者ヴァルター・ベンジャミンのことである。彼はスイスの画家パウル・クレーの『新しい天使』と呼ばれる作品(ベンジャミンが進歩と同義と考えたところの嵐に耐え追い払うかのように天使が両手を広げている絵)から悲観的なメッセージを読み取った。ナチスから逃れようとして1940年9月に自殺を遂げたベンジャミンにとって、歴史とは破局につぐ破局の抵抗しがたい進展を意味していた。

無関心:いっそう悪い態度

今日の憤慨への理由ははっきりと見えない、あるいは世界はより複雑になったということは事実だろう。誰が物事を動かしているのか? 誰が意思決定をするのか? 私たちを支配する勢力の中で答えを見分けることはいつも容易であるとは限らない。もはや私たちがあからさまにその枠組みを認識できる少数エリート層の問題ではない。それは巨大な世界であり、私たちはそれが相互依存していることがわかる。私たちはかつてなかったほど相互に絡み合っているのだが、しかし、世界における種々の事柄は容認するわけにはいかない。これを見極めるには、ただ目を見開かなければならない。私は若者に言う、ただじっと見つめなさい、そうすれば何かが発見できるからと。「私にはどうしようもない。ごまかして素通りするさ」といった無関心は最悪の態度である。このような態度は人間の重要な要素のひとつである憤慨を覚えることのできる能力と自由を奪ってしまうことになる。政治への関与において、この自由は必要不可欠である。

私たちは2つの巨大な新しい脅威を認識することができる。

(1) 最貧困層と最富裕層の格差が拡大し続けている。これは20世紀と21世紀に出現した新局面である。世界で最も貧困な人は一日にたった2ドルばかり稼ぐだけである。私たちはこの格差がこれ以上拡大して行くことを看過してはならない。このことひとつをとっても私たちの関与を促すものである。

(2) 人権、およびこの惑星の状態について。1948年12月10日にパリのシャイヨ宮において国連で採択されることになる世界人権宣言の起草に関わる機会を私はパリ解放の後に得た。国連副事務総長で人権委員会事務官だったアンリ・ロージェのスタッフのチーフとして、私は他の仲間と共にこの宣言文を起草する作業に参加するよう選任された。エレノア・ルーズベルトと、ロンドンのフランス亡命政府で司法及び教育大臣を務め1968年にノーベル平和賞を受賞したルネ・カサンが宣言の起草で果たした役割を忘れることはできない。また、国連総会の人道・文化問題委員会に提出される前に我々が起草文を手渡した相手である、国連経済社会理事会委員マンデス=フランスも忘れることはできない。この委員会には当時の国連の54カ国のメンバーがおり、私はその事務を担当した。英国系アメリカ人の友人たちが提唱したように、「国際(的)」’international’という表現ではなく、「普遍的」’universal’(Nico註:日本語では「世界」と訳されている)という表現となったのは、ルネ・カサンのおかげである。第二次世界大戦末期に真の課題となったのは、全体主義が人類に対して行った脅迫から私たちを解放することであった。そのため、国連加盟国は積極的に「普遍的」権利を尊重せねばならなかった。これは国家がその領土において人道に対する罪を犯す際に国家が主張する国家主権の議論に対して機先を制するための手段である。その領土の主となって大量虐殺をする権利を与えられたと信じたヒトラーがこれにあてはまる。世界人権宣言はナチズム・ファシズム・全体主義に対する嫌悪に拠るところが多いが、我々の存在もあってレジスタンス精神にも依拠しているのである。誰も心から敬意を払うつもりもない価値への忠誠を喧伝する勝利者の偽善に屈服することのないよう、我々は急ぐ必要があると感じた。

私は世界人権宣言の条文を引用する衝動を抑えられない。第15条「すべて人は、国籍をもつ権利を有する」、そして、第22条「すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利の実現に対する権利を有する」。たとえこの宣言が法的・強制力のあるものではなく、単なる助言的なものであったとしても、それでもなお、1948年以降強力な役割を果たしてきた。私たちは植民地支配下の人々が独立闘争の際にこの宣言に言及するのを見てきた。これは自由への戦いの渦中にある彼らの精神を強固なものにしてきたのである。

ATTAC(Association for the Taxation of Financial Transactions for the Aid of Citizens)やFIDTH(International Federation for Human Rights)やアムネスティ・インターナショナルといったNGOや社会運動が増加し、近年ますます活発になってきたことを嬉しく思う。今日影響力を得るためには、現代のコミュニケーション手段を駆使して、ネットワークの中で働き、様々な方法でつながっていかなければならないのは明らかだ。

若者たちに私は言う。周りを見なさい、そうすればあなたの憤慨を正当なものであると証明する物事を見つけるだろう、と。例えば、移民・不法入国者・ロマ人たちへの仕打ちがそれだ。探しなさい、さすれば見つけられる。

ノートここまで>————————

↓↓1日1回応援クリックをぜひお願いします!書くパワーをください!
にほんブログ村 政治ブログへ
Advertisements
This entry was posted in その他, デモ情報, ファシズム, マスコミ問題, 生活, 社会, 福島原発, 偏向報道, 原発, 放射能, 政治, 政治・時事問題, 日本, 日本社会, 書籍・映画, 民主主義. Bookmark the permalink.