エリート支配層の「無誤謬性神話」と「新しい公共」に翻弄される福島県飯舘村

ドイツ気象局ページ(放射能拡散予想を提供(ドイツ語))
フランス・メディア・ニュース(仏メディアの震災原発関連記事が日本語で読めます)
原子力資料情報室
武田邦彦・中部大学教授ページ
4月3日京都・脱原発デモ情報
4月10日東京・脱原発デモ情報

*4月2日の毎日新聞報道では、IAEAは飯舘村の土壌の追加測定で、測定値が退避勧告基準の1000万ベクレルを下回る700万ベクレルまで低下したと発表したとのこと。IAEAはなお継続的な注視が必要としている。(4月2日12:00追記)

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[IAEAの避難範囲拡大勧告を政府は無視]

国際原子力機関(IAEA)は30日福島第一原発から40km離れた飯舘村の土壌を調査した結果IAEAの退避基準の2倍にあたる量の1平方メートルあたり2000万ベクレルの放射性物質を検出したとして、日本政府に避難範囲の拡大を助言した。しかし、日本政府はこの勧告を無視し、31日避難範囲を変更しないとする発表を枝野官房長官が行った。内閣府の原子力安全委員会も31日、「国内では総合的に判断しており、現状の判断に問題ない」「人体への影響については、(日本当局の方が)より正確な値」などとしている(読売3月31日J-CASTニュース4月1日)。

また、経済産業省原子力安全・保安院も31日、独自に放射線による被ばく量を試算した結果、内閣府原子力安全委員会の避難基準の約半分にとどまったことを明らかにし、「直ちに避難する必要はない」としている。原子力安全委の指標では、避難基準は実質的な累積線量が50ミリシーベルト以上。保安院は「一日中屋外で過ごすことは現実的には考えづらく、(水素爆発などが起きた3月中旬に比べて)時間当たりの放射線量も減少傾向にある」と強調した(毎日3月31日)。

[政府とIAEAで異なる測定方法 どちらがより科学的説得力があるのか]

IAEAの値は土壌表層1平方メートルあたりの量であるのに対し、「日本は土壌を深さ約5センチまで掘り、採取した土壌1キロ・グラム当たりの放射性物質濃度を調べている」(読売4月1日)ことに注意を要する。5cmまで深く掘り下げてから採取し測定するのであるから、放射性物質が地中に浸透していなければ、値が低く出るのは当然であろう。

『ニューヨーク・タイムズ』(3月30日)ではIAEAの測定値に関して、チェルノブイリ原発事故周辺退避勧告基準の2倍を超えていると報じている。

どちらの測定方法が科学的なのかを判断する知識は私にはないが、国際社会から見て日本政府の措置は異常と映るのではないだろうか。IAEAはIAEAの測定方法で測定し、それをその基準によって判断をしていることは明らかである。一方日本の測定方法や基準は十分に説明され、国際的に認知されたものなのであろうか。

ネット言論では、日本政府はデータを低く見せるためにわざと土を深く掘り下げてサンプルを採取したり、避難範囲を拡大しないことで被害を小さく見せ、原発利権の維持と被害者への補償の限定をしようとしているのではないか、という懐疑的な声が上がっている。つまり政府の決定は科学的根拠に基づくものではなく、政治的意図に基づくものであるとの見方である。これが真実であるならば、国民の人命・健康軽視も甚だしく、もはや犯罪的であり、許しがたい。

SPEEDIによる観測結果からすでに飯舘村まで汚染は広がっていることが明らかになっており、避難区域は原発から同心円状に設定してもあまり意味はないことが明らかになっている(下図参照:このページ原典あり)。

国民の人命と健康を守る観点から、政府は即刻該当地域の人々を政府の責任で避難させるべきである。広範囲の人々をまず避難させ、その後安全が確認された地域から人々を避難先から帰していくのが常識的な危機対応ではなかろうか。政府は小出しに範囲を拡大するという全く逆の愚策を行っているように思えてならない。

[政府は自主避難者に被災者証明を発行していない! 翻弄される飯舘村]

J-CASTニュース(4月1日)では、翻弄される飯舘村の様子を報告している。村では自主的に退避する人がいたが、ほどなく村に戻ってくる人が増えたという。

村では一時自主避難する人が続いたが、ほどなく戻ってくる人が増えた。「(戻ってくるのは)年寄りが多いですね。若い人と違って、長くはよそで暮らせませんから」。不安なら村外に逃げればいいのに、という人もいるかもしれないが、周囲には農家も多く、「家畜もいれば、年老いた親もいる」という理由で「村外へ動きたくても動けない」人たちが多いそうだ。避難指示が出ればさすがに考えなくてはならないが、「農家は土地を離れたら暮らせない」。その一方で、幼い子どもをかかえた家族の村外脱出は続いているようだ。

また、同記事の中である農家の女性は以下のように述べている。

「農家はね、土をなめるように、はいつくばるようにして働くの。1日に10時間も12時間も外にいるの。作業も10日なんかじゃ終わらない。100日は続くの」

前述の保安院は「一日中屋外で過ごすことは現実的には考えづらい」と述べているが、保安院は農家の人々がどのような生活をしているのか全く理解していないように思われる。このこと自体が、「一日中屋外で過ごさない」ことを前提として計算された保安院や安全委員会の基準の妥当性を疑わせるものであると思う。また鉄筋コンクリートのオフィスビルで働く官僚たちには、放射線を遮る効果の高いコンクリートの家ではなく、木造建築の家に住む国民のことが想像できないのであろうか(参照記事)。

飯舘村の人々が思い切った避難をできない背景には、政府が自主避難をした人たちに被災者証明を発行しないことも大きな要因であると思う。正直、この話を聞いたときは政府に対し心底腹が立った。飯舘村に住む方のツイートより。(ちなみに、この方によるとこの村ではいまだにヨウ素剤が配布されていないとのことである)

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国は30キロ圏内の特定地区の人にしか被災者証明書を発行出来ないように制限しているそうです。飯舘村では蕨平地区のみで、文科省が定点観測している数値の高い隣の長泥地区は対象外だそうです。証明書ないと自主避難しても避難者扱いされない場合があるみたいで、村職員も憤りを隠せないようでした。(4月1日)

[エリート支配層の「無誤謬性神話」と新自由主義「新しい公共」の恐怖]

有名政治ブログ『世に倦む日日』の記事「「新しい公共」で見殺しにする政府、被災地をネタにするテレビ」(3月15日)で、被災地への支援に関して以下のように述べられている。

昨年の事業仕分けでは、蓮舫が農水省の備蓄米事業を無駄だから廃止だと断じていた。もう一つ、おそらく政府の方が各県知事に指示を出して、マスコミに出て喋るなと口止めしているのだ。国から被災地に給付するものがなく、国が救援事業を本気でやる気がないから、行政による支援が行われているような想定や前提を作り出すなと県に厳命しているのである。行政は支援しないのだ。救出活動(自衛隊)も必要な量を投入しないし、救援物資も十分な量を手当しないのである。

震災から4日後の3月15日に書かれた記事であるが、この段階で、被災地への支援が遅れているのではなく、「政府は最低限のことしかやらないから、後は自分たちでやれ」という小泉・竹中以来の新自由主義の「新しい公共」に基づいて、政府がわざと手厚い支援を行っていないのではとブログ主は指摘する。

当初この記事を読んだときは過剰反応のきらいがあるかと感じたが、住民の避難地域が明らかになった後も支援が十分に進まなかった経緯や、今回の福島原発周辺の避難地域拡大を渋る政府の対応を見ると、この指摘はあながち的を外してはいないのではないかと思う。新自由主義「新しい公共」とは民に冷淡な「恐ろしい公共」である。

そして、政府が避難地域の拡大を渋る要因の一つに、エリート支配層の「無誤謬性神話」の護持があるように思う。つまり、「エリート支配層は間違いを犯すことはない。民は黙って従っていればよい」という思想である。この無誤謬性こそが彼らの拠って立つ砦であり、彼らの間違いが証明されれば、彼らが統治する正統性が一気に崩壊するのであろう。政府は国際原子力機関の勧告を拒否し、「日本当局の方が正確だ」などと官僚が強弁を張っているが、彼らの無誤謬性を無理矢理国民に強要する態度が透けて見えるようで怖い。

あるツイートで以下のような秀逸なものがあった。言い得て妙である。

「放射能は絶対に漏れないから安全」から「放射能は漏れても安全」に変わりつつある。

既に原発エリート・マスコミ・御用学者たちの主張してきた「放射能は漏れないから安全」が誤りであることが福島原発事故によって実証されており、彼らの無誤謬性が否定されているのである。しかし、彼らは誤りを認めず、「想定外」「1000年に一度」などという詭弁を弄し始めている。しかし三陸地方は過去にも大津波に襲われており、原発の津波対策の不備が指摘されていた。すなわち彼らが非科学的な楽観論に基づいて勝手に想定しなかっただけであり、対策を怠ってきたに過ぎない。こうした子どもじみた言い訳を許すわけにはいかない。

しかし「放射能は漏れても安心」などという喧伝をやりだしている。放射能・放射性物質について正確な知識を伝えるのは当然悪いことではない。しかし、政府の測定方法が国際機関のそれと異なっており、基準も国民に明確に説明されないようでは、信じろと言われても却って国民は不安になるのではないだろうか。何よりもまず、彼ら原発エリートたちの「無誤謬性」が否定された事実を潔く認めた上で、それから放射線の危険性・安全性について論じるのが筋ではないだろうか。

いずれにせよ私は将来的な見通しについて全く楽観視していない。このままでは、中枢で利権をほしいままにしていた勢力は誰も責任も取らずに今後ものさばり続けるといったことになりかねない。次節のようなニュースも希望を減じるのに十分な効果がある。今絶望的な状況に国民は取り残されていると思う。本来ならこのような状況下では国民は助け合って生きていくことを考えなければならない。しかしそういう気持ちがあっても、個々人はバラバラに切り離され、無力感にさいなまれるかも知れない。このような状況の中から希望を見出す努力をしていかねばならないだろう。「自立と共生」を我々が本当に担いうるのかどうかが試されているのではないだろうか。

[現職国会議員の大半が震災後も原発推進派か? ヨルダンとの原子力協定案が参院で圧倒的多数で可決]

31日の参議院本会議でヨルダンとの原子力協定案が可決された。衆議院でも近く可決する見通しという。共同通信の報道より抜粋。

原子力協定は、日本企業が原発関連機材、核物質、原子力技術を他国に供与、移転する際の法的根拠。今回の協定案は、日本とヨルダン双方の原子力利用を平和目的に限定することなどを明記した。ヨルダンでは三菱重工業とフランスのアレバの企業連合がロシア、カナダ勢と受注を競っている。ヨルダン側の判断に、福島原発事故が影響する可能性もある。(共同3月31日)

福島原発震災が収束する目途も立たぬ中、この法案が可決されたという事実は重大であると思う。法案に反対したのは社民党、共産党議員と無所属1人の計11人だけであった(参議院投票結果リンク)。脱原発を目指す国民にとっては暗澹たる気分にさせられる。当ブログの読者の皆様は既にご存知のことと思うが、私は以前から民主党国民生活派を中心に新自由主義に対抗し、TPPに反対する勢力を支持してきたが、この先も政界再編がなく、このような状況が続くのであれば、支持変更もやむを得ないと考える。原発推進か脱原発かは大きな争点となるだろう。選挙に際して、各政党および候補に態度を明確に表明していただくほかない。

[その他推奨記事・リンク]
新恭氏「原発連合艦隊いまだ反省の色なし」(4月1日)
上空から撮影された福島原発の写真(英語ページ)

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