内橋克人「原子力安全神話はいかにして作られたか」/ 正統性を喪失したエリート支配層

ドイツ気象局ページ(放射能拡散予想を提供(ドイツ語))
フランス・メディア・ニュース(仏メディアの震災原発関連記事が日本語で読めます)

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原子力安全神話はいかにして作られたか」経済評論家・内橋克人氏(3月29日)
ラジオ・インタビューのリンク(←こちらで視聴可能)

[要約]—————————
私は福島第一原発の事故はまさしく人災だと思う。「原発は安全でクリーンなエネルギーだ」と嘘を唱えてきたわけだが、その安全神話が崩れて、地震・津波という自然災害に加えて、原発事故という人災が追い討ちをかけてしまった。
原発安全神話がどのように作られてきたのかについてだが、当の電力会社はもちろんのこと、科学の名において「安全だ」と主張してきた夥しい数の学者・研究者・行政の責任は免れることはできないと思う。原発推進は今も各地で続いているわけだから。
私は29年前の著書『原発への警鐘』(内橋克人、1982、雑誌の連載を本にしたもの)の中で、原発立地をめぐる住民の方々との公開ヒアリングの有様を詳しく書いている。今では公開ヒアリングそのものさえ開かれていない。
たとえば、2日間開かれた島根原発2号炉を増設するときの公開ヒアリングを全て取材した。忘れられないのは、予定地のすぐ近くに住み2人の子どもを抱えた主婦の悲痛な質問だった。「もし原発に事故があったら、私たちはどうやって逃げれろと言うのですか? 宍道湖を泳いで逃げろと言うのですか? なぜそんな大切なことが安全審査の対象にならないのですか?」。しかしこの悲鳴といえるような質問に対し、当時の原子力安全委員会は何の答えもせずに、こういってはねつけた。「本日は安全委員会としては、皆様のご意見を伺うために参っておりますので、安全委員会としての意見を表明することはご容赦願います」。
住民の不満の声で会場が騒然とする中、そうした声を一切無視して、どんどん議事を進めてしまうといった具合だ。住民と意見を戦わせて議論する場ではなく、住民の意見を聞くだけが目的だということを会場に徹底させる、これが原子力委員会の役割であることがはじめからはっきりしていた。こういうことに一役買ったのが研究者・学者と呼ばれる人たちで、反対する住民や原発に警鐘を鳴らす者は「科学の国のドン・キホーテだ」と、時代遅れの素人、という扱い。原発安全神話が崩れた今、このような形で進められた原発大国だから、その故に、これからのエネルギー選択のあり方をめぐって、そしてこれからの前途をめぐって、これまでのやり方は一層厳しくなってくるということを考えて欲しい。

次に原発PA(public acceptance)戦略の徹底ぶりについて。原発を社会に受け入れさせるための戦略的働きかけは大きく3つの柱に分けられており、壮大な規模において展開されてきた。
1)電気事業連合会が行ってきた言論に対する抗議戦略。
様々な報道機関・メディアに抗議書や「関連報道に関する当会の見解」という共通見出しの文書を送り続ける。
2)小学校低学年から中学・高校までエネルギー環境教育という名の原発是認教育を授業として実施。
社会・理科・総合などの授業で児童・学生らに教師が教え込んでいく。それが生徒の成績も左右する。
3)有名文化人を起用していかに原発は安全かを語らせるパブリシティ記事をメディアを使って展開。費用も膨大だったはず。男女の文化人を原発の地下施設などに案内し、ヘルメット姿で語りをやらせ、それを記事にする。ある有名テレビ・キャスターは「原子力問題は論理的に考えよう」などとご託宣を下しているわけである。

私は『原発への警鐘』の中で「マンクーゾ報告」を紹介している。米国のピッツバーグ大学トーマス・F・マンクーゾ博士は「マンクーゾ報告」(1977)の中で放射線による被害のことを「slow death 緩やかなる死」として警鐘を鳴らした。日本からの取材に応えたマンクーゾ博士は以下のように誠実に語った。「日本はアメリカに比べて国土も狭いし、人口も密集している。この広いアメリカでも原発の危険性は常に議論されているのに、狭い日本で原発事故が各地に広がった場合、一体日本人はどこに避難するつもりでしょうか。日本人は広島・長崎と2度も悲惨な原爆の悲劇を経験しているではないか」。私はこのマンクーゾ報告を正当に評価している京都大学原子炉実験所の原子力専門家の話も詳しく紹介した。今この国のあり方を根本から考え直すことが、夥しい犠牲者への生きている者のせめてもの責務ではないだろうかと考える。
[要約終わり]———————–
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ある大学教授から聞いた話だが、最近の大学は「産学協同」「産官学共同」などというものを売りにしており、大学内部ではその学者の学術的な業績よりも、企業などからカネを取ってくる人が評価される傾向があるとのことである。官僚の出向が多いのも気になるところだ。こうしたことがアカデミズムの権力との癒着を生み、それが御用学者を生み出す温床になっているのではなかろうか。良い面もあるのかも知れないが、純粋なアカデミズムとして今のあり方には大いに問題があると思う。こうした一例として以下の記事もご参照いただきたい。

純丘曜彰「東電のカネに汚染された東大に騙されるな!」(3月27日、INSIGHT NOW)
参考資料:東京大学の寄附講座一覧(pdf)(3月31日リンク追加)
また原子力業界・官僚の癒着などについて、仏『ルモンド』が切り込んだ秀逸記事を連発している。(「フランス・メディア・ニュース」が日本語で配信)
福島原発「東電の罪」と「原子力ロビー」」(3月26日)
福島、非難すべき沈黙」(3月26日)
佐藤栄佐久・元福島県知事インタビュー」(3月29日)
*また、フリーランス・ジャーナリスト岩上安身氏による佐藤氏へのインタビュー(3月20日)も必見である(動画の下に書き出しあり)。
佐藤栄佐久・前福島県知事が告発「国民を欺いた国の責任をただせ」」(『週間朝日』、3月30日付)も必読(3月31日リンク追加)。
またマスコミと原子力関連組織の癒着に関しては、小笠原信行様のブログで広瀬隆氏が1987年に書いた本の中で述べたものを書き出しておられるので、そちらをご参照いただきたい。
*参考資料:「ジャーナリズムと原子力産業」リンク(出典は不明だが、広瀬氏の著書からのものと推測されている)(3月31日リンク追加)
さらに、このような記事も。「原発関連団体は天下りの巣窟だった」(日刊ゲンダイ、3月26日)

内橋氏が指摘した原発PA戦略の3)に関しては、以前にご紹介した新恭氏の記事「原子力を弄ぶ罪深きジャーナリストたち」(3月23日)に詳しく実態が書かれているのでご参照いただきたい。

また原発PA戦略の2)に関しては、こちらのページを開いてご覧いただきたい。これは文部科学省・経済産業省資源エネルギー庁の委託を受けた日本原子力文化振興財団なる財団法人が運営する「原子力ポスターコンクール」第17回の受賞作一覧である。小学生から高校生までが対象となっている。こうした活動も内橋氏の指摘した「エネルギー環境教育」の一環として行われているのだろう。
「原子力は地球を守る」「地球にやさしい原子力」「ちいさくてもちからもち。原子力すごいぞ」など、原発震災が起きた現在となっては、皮肉にも聞こえるキャッチフレーズが書かれている。私はこれらのポスターを描いた子どもたちを非難しているのでは無論ない(彼らを晒し者にする意図でこのページをご紹介しているのではないことをご了承いただきたい)。いくつかの絵からはこれらの絵を描いた子どもたちの人や動物・自然への優しさが読み取れることがおわかりいただけるだろう。そうした子どもの良心が原発推進キャンペーンに利用されているということに私は腹が立っている。子どもたちは教師や大人たちによってこれらを描かされているわけである。この構図を考えるとグロテスクに思える。このような原発推進教育は一刻も早く破棄されるべきであろう。一種のイデオロギー教育とも言える。

安全神話が崩壊した現在、「原発は安全だ」と喧伝してきた学者・官僚・電気業界・マスコミの責任は、内橋氏の指摘する通り、免れえないと思う。そしてこのような推進キャンペーンを行うシステムそのものも改変されねばならないだろう。3・11によって「安全神話」が崩壊したのみならず、エリートたちもその正統性を失ったのではないかと思う。「想定外」「1000年に一度」などといった言葉による責任逃れと彼らの中枢での権力と利権維持・延命を許してはならないと思う。内橋氏も指摘している通り、「今国のあり方を根本から考え直し」、抜本的に再建していくことが求められている。当ブログの読者の皆様はとうにお気づきであると思うが、産業界・マスコミも含めたエリート支配層の劣化、癒着、腐敗は近年著しくなってきていた。そこに今回の震災が起こり、一気に炙り出されることとなった。被災地の復興と同時に、日本という国の再建そのものが必要なのではなかろうか。震災で犠牲となった方々へ、将来を担う子どもたちへ、そしてこれまで国を支えてきた先人たちへの、我々の責務ではないかと思う。3・11は8・15の敗戦に匹敵するほどの歴史的出来事ではないだろうか。

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