革命と反革命の2010年までを振り返る: 「書に触れ、街に出よう」を立ち上げるまで

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今年10月半ばにこのブログを立ち上げることになった。日本の民主主義が崩壊の瀬戸際にあるという強い危機感からである。ブログのタイトルはいろいろ考えたのだが、「書に触れ、街に出よう」とした。もちろん寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」をもじったものである。知的研鑽を積むことと、それを知識として終わらせるのではなく、実践・行動することの重要性の意味をタイトルに込めたつもりである。この場合の「書に触れ」とは別に本に限ったものではない。映画や漫画、アニメでも知的研鑽や感性の向上に役立つものも多いと思う。自分自身で体験し、学び、感じることも重要である。今回の記事ではここに至るまでを私の経験を通して振り返ってみたいと思う。

[嘘の支配する風景]

私が海外に生活の拠点を移してから9年ほどになる。2001年の9・11の時はまだ日本にいた。連日テレビにブッシュやラムズフェルトの胡散臭い顔が映り、アフガニスタン侵略の必要性を訴えていた。彼らの説明は私には全く説得力がなかったのだが、日本のマスコミも真剣にそのことを論議し報じているのが気持ち悪く思われた。思えばこのブッシュ政権こそが旧西側世界の悪夢の始まりだったといえるだろう。米国がアフガン空爆を始める直前、私はホワイトハウスに「暴力での問題解決は知性の欠如を示す」と英語で短く書いたEメールを無駄だと知りながらも送った。すぐさまホワイトハウスから「ご意見ありがとうございます」などという馬鹿馬鹿しい返事が返ってきた。その数日後アフガン爆撃が始まった。私の中の米国というものは崩壊した。

日本はずっとバブル崩壊の後遺症に悩まされていた。まだまだこの先も嘘に満ちた嫌な時代が続くのだろうなと感じた。日本に自分の希望や、生活や活躍の場を見出すことができず、私は日本を出た。このブログの読者に対しては少々申し訳なく思うが、その選択はその時点の判断として正解だったと思う。仮に日本を出ていなかったら、私も生活困窮者となっていたか、存在していないかのどちらかだろう。

2002年の秋ごろ休暇で訪れたタイの田舎でたまたま40代と思われる米国人と一緒になった。外国で出会う米国人というのは多かれ少なかれブッシュのことを恥じる人間が多いものだが、この人物は全く正反対であったので非常に面食らった。ユダヤ系米国人の富豪であることが話していてわかった。私が日本人であるためか、彼もそれを隠そうとはしなかった。家に自家用飛行機やヨットがあるという。しかし、出費に関しては過剰なまでに禁欲的で、早い話が極度に吝嗇であった。たまたま政治の話になり、彼はイラク侵攻の必要性について訴えた。大量破壊兵器がどうのとかいうブッシュ・ラムズフェルトの言っていることそのままの言い分であった。フセインやビンラディンは悪、米国は正義などという二元論の図式そのものが、スーパーマンのような陳腐なものに思えた。私は「それはおかしいのではないか」と異議を述べ、問題点を指摘し、「米国は戦争をしたいから、そうした言い掛かりをつけているだけではないのか」と言った。すると彼は顔を真っ赤にして「フセインは邪悪だから倒さなければならない」などと大声で喋りだしたが、彼はやはり具体的で説得力のある説明をすることができず、支離滅裂な激高に聞こえた。彼が大声を出すということは、逆に私の主張が正しいことの証明のように思えた。私は相手ががなりたてるのを制止し、「私の言うことを聞きたまえ。大きい声を出したからと言って、あなたの主張が突然正しくなるわけではないでしょう。私は日本人だが日本政府の代理人でも何でもない。あなたは米国人だが、どうして米国政府の代弁者の如く話す必要があるのか? 政府の立場を擁護する前に、事実を客観的に検証することが大事ではないのか? 私はあなたの説明に全く納得しないし、世界の多くの人々もあなたには同意しないだろう」と言うと、静かになった。米国のネオコンと関係しているであろう人物と初めて出会ったが、不愉快な後味の悪い会談であった。同時に何か不吉なものを感じさせた。米国ではこの期に及んでこのような子どもじみた言説がまかり通るのだろうかと。マトモな論理が通じなくなっている。翌年米国はイラク戦争を開始し、日本政府はそれを即座に支持した。

[海外生活を続ける中で感じた日本について]

私は海外生活を続ける中で日本のニュースはインターネットで時々チェックするぐらいであった。日本を出るときはまだ朝日新聞もまともであったし、筑紫哲也氏も健在だったので、マスメディアに関して心配はしていなかった。しかし日本に一時帰国するたびに、テレビを見たり新聞を読んだりして、異変に気付くようになった。テレビ番組はもはや想像力・創造力ともに枯渇したような内容で、クイズ番組やいわゆるバラエティと呼ばれるものがやたらと目に付いた。そして番組の途中のCMが終わった後、CM以前の内容をおさらいで繰り返すという、視聴者を小馬鹿にしたような内容になっていることに驚いた。やたらとパチンコのCMが多くなったことにも気が付くようになった。新聞は徐々にページが少なくなり、広告の割合が多く、夕刊はペラペラになっていった。街を歩いても、整然としているのだが活気がない。何か表現しがたい閉塞感がずっと続いている。日本に帰るたびに、こういうことに気が付いた。

私が日本を出た当時に比べると、アジアでの日本の存在感は著しく低下した。タイやフィリピンではまだ日本人はお客さんのようだが、他の国ではそうではなくなってきている。バリではあちこちに中国語の張り紙があり、店のスタッフが片言の中国語を話せるのには驚いた。日本人旅行者も少なくなってきているように思う。観光業では中国人旅行者抜きには成り立たないようだ。日本の観光業もそうなっているのではないかと思う。業界関係者の間での前原外相の評判はどうなのか興味があるところだ。貿易などの経済面でも中国の存在感は大きく増した。世界の時間は流れているのに、相変わらず中国への排外主義を煽る日本は、アジア全体からも確実に取り残されていっていると思う。日本人の世界観は米国の見た世界観に多大に影響されている。米国という色眼鏡を外し、自分自身の目で確かめると様々な事実が新鮮に認識できるだろう。日本人のエスプリそのものが閉じたものになっていて、思考も硬直化し、世界の現実を認識できていないのではないかと危惧している。

[当ブログを立ち上げるに至るまで: 革命と反革命]

私が日本のマスコミがいよいよおかしくなったと気付いたのは、民主党政権誕生前の小沢一郎氏への攻撃的な論調が激化してからのことである。海外から報道を追っていると、どう見ても政権交代を阻止しようというネガティブ・キャンペーンにしか見えなかったからだ。こちらに時折訪問され、懇意にしていただいているメディア論・心理学が専門の日本の大学教授とこのことについて話し、日本のマスコミが著しく偏向しており、事態が深刻であるということがはっきりとわかった次第だ。

鳩山氏が民主党代表となって総選挙に突入したが、マスコミは子ども手当てや高校無償化を槍玉にあげ、財源が不透明との一斉攻撃を始めた。私にはこれらの政策は、不況に苦しみ、高齢化と少子化が進行する日本には必要不可欠な素晴らしい政策だと思っていたので、こうした否定的な報道には大いなる違和感を覚えた。国民はそれでも「国民の生活が第一」を掲げた民主党革命政権を誕生させた。私はこの選挙結果に心から喜んだ。しかしマスコミは政権誕生後も攻撃の手を緩めず、子ども手当てなどの負の側面ばかりを報じるのは異様であった。沖縄普天間基地移転問題でも、マスコミは対米従属派の官僚と結託して鳩山政権を追い詰め、川内議員らが新たな有力な海外移転先候補を見つけてきた話などほとんど報じなかった。結局移転先を辺野古にするという内容の日米合意をするという大きなミスを犯し、それが命取りとなって退陣するという結果となった。今年6月の鳩山氏の退陣こそが日本国民にとって悪夢の始まりであったといってよい。鳩山氏は退陣してはならなかったのだ。

菅氏が首相になるのは当初順当なことのように思われた。しかし「脱小沢」なるものを持ち出してから、雲行きが怪しくなりはじめた。菅氏が首相になった直後、どこの新聞の記事か失念したが、非常に馬鹿馬鹿しい記事を読んだ。「官僚が最も恐れている政治家は小沢一郎ではなく、実は菅直人だ」という内容で、あたかも「菅氏が官僚と対決するリーダーシップがあり、菅内閣は国民のための内閣ですよ」と国民に対して菅氏を持ち上げる内容のものだった。あれだけ民主党政権を散々攻撃し続けてきたマスコミが急に菅氏を持ち上げること自体が異様で、菅氏とマスコミ・官僚の間で何らかの裏取引でもあったのかと想像させる内容の記事だった。その後菅氏は党内論議も経ず唐突に消費税増税をぶち上げ、マスコミは「世論調査」の結果から国民は増税に賛成しているとしたが、参院選で大敗した。菅政権は鳩山政権とは正反対の反革命政権であることが明らかになってきた。

8月の間は菅氏が「挙党一致」で「国民生活第一」の原点に立ち戻るか、あるいは従米既得権益勢力に従い「脱小沢」を継続するのかが注目された。この時期に私は日本の政治関係の資料を読み漁り、マスコミ以外の独立系メディアや掲示板サイトで人々が声を上げていることに初めて気が付いたのである。大手マスコミが伝えない貴重な情報を流すフリージャーナリストの存在を知ったのもこの頃である。疑惑だらけの民主党代表選で菅氏が再選され、10月4日にはこれまた疑惑だらけの検察審査会で小沢氏に対し、起訴相当という議決そのものの合法性も疑われる議決が発表された。それまでは掲示板やThe Journalに書き込みをするだけであった私だが、これには我慢がならなかった。ここで声を上げないと日本の民主主義は死滅する。これが当ブログを立ち上げるに至った動機である。10月半ばにブログを立ち上げた。ブログを書き始めた当初は1日に何名か読んでくれる人がいたらいい、せめて気持ちを分かち合えればという気持ちだったのだが、まさかたった2ヵ月ほどでここまでご支持をいただけるとは予想外であった。改めて皆様に感謝の意を示したい。

[米国ネオコン仕込みの手法]

この記事の冒頭であえて長々と米国ネオコンの話を書いた。それは小沢氏に対する従米既得権益勢力のやり口や言い回しが、米国ネオコンのそれと瓜二つであるからである。私はマスコミの報道を見るたびにどこかで見たことがあるなと感じていたのだが、ウォルフレン教授の講演を見た後、上に書いたエピソードを思い出し、合点がいった次第である。「大量破壊兵器」はやはり実在しなかったのと同様、「政治とカネ」なるものも従米既得権益勢力による壮大な作り話に過ぎない。答えようもないいいがかりをつけて攻撃をする手口もそっくりである。従米既得権益勢力のやりかたは米国仕込みであると思う。マスコミにおいては「嘘も100回繰り返せば真実になる」というナチス以来の古典的な手法を応用したものだ。彼らは情報統制とプロパガンダによって国民を愚民化し、そこから収奪を続けるというファシズム体制を構築し、自らの利権を守ろうと働いているに過ぎない。幸いにも彼らの作る虚構の化けの皮は国民の手によって剥がされつつあり、王様は裸であることは多くの人に知られるようになった。説明責任を求められるのは小沢氏ではなく、この虚構を作り、国民を欺いてきたマスコミをはじめとする勢力である。現在彼らによって菅政権は乗っ取られた形となっており、気分の悪い年の瀬であるが、来年もしっかりと皆様と共に声をあげていきたいと思う。

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This entry was posted in October 2010. Bookmark the permalink.