短編映画『チキン・アラカルト』を見て考えたこと・思い出したこと

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この映画は6分ほどの短いもので、ストーリーも明快なものなので、まずご覧になっていただきたい。


この映画は2006年ベルリン国際映画祭の「食、味そして飢餓」をテーマとした映画部門で最優秀に選ばれた短編ドキュメンタリー映画である。監督はフィリピンの作曲家フェルディナンド・ディマドゥラ氏で、この映画で使われている歌は氏が作曲し歌っているものである。フェイスブックの口コミで人々の間に広まったのでご存知の方もおられるかも知れない。私もそれでこの映画の存在を知ることができた。

特に映画の中で説明はされていないが、舞台はフィリピンの大都市とその周囲にある貧困層の人が暮らす村であろう。中間層か富裕層であると思われる人がレストランで食べ残したものを、日々の糧にすら困るほどの貧困の中に取り残された人々が食べ、その日の命をつないでいる。資本主義体制の下でのいわば共存関係が成立していると言えるのかも知れないが、極度にいびつな関係であると言える。この映画が作られてから5年になるが、この人たちはまだ同じ生活をしているのだろうか。私はこのことを心に留めておきたいと思った。この映画を見たということのみをもってして、何か貧困撲滅に一役買ったというような偽善的錯覚に陥ってはいけないと思う。

日本人にしてもこれは決して他人事ではない問題である。バブル経済が崩壊した頃、コンビニで働いていた友人から期限切れの弁当をもらいにくる人の話をよく聞いたものだ。私が貧富の差の激しい途上国に住んでいる間に、日本も貧富の差の激しい国になってしまった。このままいくと、貧富の差というものは世界的な日常風景となるのかも知れない。

旧ソ連から独立した国に10年程前行ったことがある。市場には物があふれているのだが、活気がない。売り手ばかりで客が見当たらないのだ。奇妙な光景だなと思って歩いていると、英語の達者な中年女性が話しかけてきた。ジャーナリストだという。独立後共産主義から資本主義に移行したものの、一部の人たちだけが成功を収めていて、大多数の人々に仕事がなく現金収入が入らない。公務員の給料も数ヶ月支給が滞った状態で、その結果腐敗しているのだという。明らかに共産主義時代の方がみんなに仕事があってよかったというのである。日雇いの仕事を求めて人々が公園に集まっていたが、ごくわずかな人のみがマイクロバスに乗せられていた。市バスに乗ったが、信号で止まるたびにエンジンを切って、青になったら再びエンジンをかけていた。資本主義とは一体何なのかと考え込まざるをえなかった。

90年代後半、日本ではインドはIT先進国だと言ってもてはやしていた。こういった経済記事を書く人たちは実際にインドに足を運んだことがあるのだろうか? 私はこの時期にインドを旅した。ムンバイの空港に着く間際、飛行機の窓から巨大なスラム街が見えた。どこに行ってもこじきが群がってくる。これがインドの現実であり日常風景である。厳然と存在するカーストが経済格差を固定化している。時々インターネットカフェに行ってEメールをチェックするのだが、スピードは非常に遅い。極端な例だが1時間かけてやっとメールを1通開くことができたということもあった。街を歩き回るにつれ、日本で読んでいたインドに関する経済ニュースがハッタリに近いものであることを思い知らされた。バンガロールに半導体工場があるからインドはIT先進国であるといった言い方は、トヨタが儲かっているから日本の景気はいいというような類の誤解に近い。ある国の産業の勃興する一分野のみに気を奪われては、その国の実像を見誤ることになりかねない。

インドの中で印象的な場所があった。南部にあるケーララ州だ。ケーララ州に入った途端、こじきを見かけなくなったのだ。これには驚いた。他の地域に比べ人も穏やかで、明らかに豊かであった。この理由は何だろうかと考えていたが、短いケーララ滞在中に3回も目撃した労働者のデモと無関係ではなさそうな気がする。彼らが持っていた旗には”Revolutionary Socialist Party”(革命社会党)と書かれていた。左翼運動が強い土地柄のようだった。私はインドをほぼ1周したが、このような場所は他になかった。

私は経済のことはわからないが、世界ではカネがあまっているのだそうだ。全世界のカネの7割から8割は投機市場というバーチャルリアリティのごとき世界で回り、実際の市場で回るのはごく一部なのだという。カネが実体経済の市場に回らないため各国の中央銀行はせっせと紙幣を印刷しているという。どこか狂ってはいないだろうか。共産主義が良いとは決して思わないものの、弱肉強食の資本主義が人々を幸せにするとは到底思えない。特に新自由主義と呼ばれるものは決して「新しい自由」などではなく、むしろ人から自由を奪うものであると言える。このような酷い資本主義はいずれ人の手で終焉させなければならないと思う。共産主義とも資本主義とも全体主義とも異なる、共生を基にした思想はすでに芽生えつつある。私はその可能性を信じたい。グローバルなことを考える上で、ローカルな事柄は重要なことを我々に教えてくれると思う。今回ご紹介した映画とは随分かけ離れた話でまとまりのないものになったかも知れないが、私はこの映画を見て以上のようなことを考えた。

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