「開く」力と「閉じる」力のせめぎ合い: マスコミ検察糾弾全国多発デモによせて

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いよいよ明日から偏向マスコミ・検察糾弾全国デモが大阪御堂筋デモを皮切りに全国5都市で開催される。今日本では「開く」力と「閉じる」力がせめぎ合っている状況だ。明日大阪ではマスコミ検察糾弾デモとは別に、尖閣問題糾弾デモというデモも行われる。2つのデモは争点も異なり現状では対立するものではないが、その背景を見れば、「開く」方向性を持った市民の手作りデモと、「閉じる」方向性をもった団体の動員デモで対照的であり、今の日本の状況を象徴しているようで興味深い。

昨年の総選挙で民主党は圧勝し、鳩山政権が誕生したが、これは「開く」力の後押しによるものだった。鳩山政権は従来の閉ざされた政治システムのコアをこじ開けようとしたものの、マスコミを軸とした対米従属派の「閉じる」力の激しい巻き返しに遭って倒された。小沢氏へのマスコミ・検察・自民党による執拗な弾圧はこの観点で見ないと理解できない。その後菅氏が首相となり、「閉じる」勢力が政権を奪還した状況である。総選挙時のマニフェストとは性質を大きく異にした政策が推し進められつつある。故丸山真男は幕末から明治への「鎖国」から「開国」の過程、軍国ファシズムという「閉じた」体制に向かう過程、そして敗戦による「開国」を政治思想史の分野で見事に分析しているが、この国は再び「閉じる」ベクトルに舵を切っていると思われる。

日本は「近代」というものを十分に消化吸収できないままに80年代よりポストモダンに突入したため、ポストモダンというある意味平和であるがふざけた時代の弊害が非常に大きいのではないだろうかと思う(無論厳密にはポストモダンの思想とポストモダニズムというべき風潮とは分ける必要があるが)。思考をするための基盤が脆弱となってきており、人文知や言説といったものが絶滅の危機にあると思う。マスコミがこの傾向を推し進めたのは間違いないだろう。今や新聞の社説や論説委員なる人々の書いたものの多くは、知性を放棄した絶叫のようではっきり言ってしまえばバカ丸出しで、我が国の知性の水準を示しており恥であると思う。情報源が明確でないニュースや根拠の薄弱な「世論調査」、専門家でも何でもないキャスターや芸能人の発言で国民を惑わせ、彼らの都合のいいように国民を誘導している。マスコミの報道は、もはや国民に真実を知らせることで「目を開かせる」という本来のジャーナリズムではなく、実際は国民を催眠的レトリックによって「眠り込ませる」ための宗教の呪文のようなものとなっているのが現状である。そしてこのような誘導にまんまと嵌められる我々国民のレベルも相当低いものであると自戒を含めて思わざるを得ない。

作家の故安部公房は『死に急ぐ鯨たち』という評論集の中で、言葉の2つの側面について興味深い分析をしている。<ことば>という記号によって認識する能力を獲得した人間は、他の動物が持つ本能の「閉じた」ループをこじ開け、自由に行動できることとなった。しかし、<ことば>には「分化」を促す「開く」作用と同時に、「集団化」を促す「閉じる」作用もある。群れの集団化や国家儀式の整備を「閉じる」例として安部氏は指摘し、それを「シャーマンは祖国を歌う」と喩える。安部氏は集団化を促す言葉の作用の人間の生活における利点や必要性も認めるものの、それが過度に行き過ぎることに警鐘を鳴らす。「閉じた」ループをこじ開けたはずの人間が、再び「閉じた」世界に戻っていくことになるからだ。

マスコミが<ことば>の「閉じる」作用を使ってシャーマンの祈祷を繰り返し、人々の認識を眠りに誘い、視界を閉ざす。人々の目の届かないところで虚構が積み上げられていく。今我々はそういう時代に生きている。安部氏の危惧した<ことば>の「閉じる」作用のみの片肺飛行の時代に陥りつつある。シャーマンの祈祷に対抗する力は、<ことば>による認識という「開く」力に他ならない。存在や認識の「プログラム」を開く<ことば>という鍵をシャーマンの歌に惑わされて手放してはいけない、人間とは「開かれたプログラム」に他ならないのだから、とこの世界的作家は我々に訴えかけているのである。

一連のマスコミ検察糾弾デモは、健全な民主主義を取り戻すための運動であると同時に、「閉じる」力に対抗する「開く」力の運動という思想的側面もあると思う。閉塞状況に陥った日本に今必要なのは「開く」ことである。こじ開けて白日の下にさらし、虚構を解体することで、人々は眠りから覚め、認識の作業から逃れられなくなるであろう。日本を閉じたファシズムに走らせてはいけない。

(*ここでいう「開く」「閉じる」という概念は貿易について述べているのではない。念のため)
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[参考文献]
丸山真男『増補版 現代政治の思想と行動』(未來社、1987)
丸山真男『忠誠と反逆-転換期日本の精神史的位相』(筑摩書房、1992)(ちくま学芸文庫、1998)
安部公房『死に急ぐ鯨たち』(新潮文庫、1991)

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