理性と知性を取り戻そう! ネオコンの狂気から脱却しよう!

10月30日米国の首都ワシントンで「正気を取り戻そう!」という大規模集会(”Rally to Restore Sanity and/or Fear”)が、コメディアンで風刺ニュース番組の司会者Jon Stewart氏の呼びかけで行われた(YouTube動画リンク)。恐怖や憎しみ、対立を煽るマスコミや言論人に惑わされず、正気を取り戻し、現実を認識していこうと訴えかける内容である。私は米国の政治に詳しくないのだが、幸い加藤祐子氏がこの集会について非常にわかりやすく記事にしておられるのでご一読いただきたい。この集会について映画「ANPO」の監督であるLinda Hoaglund氏はツイッターで(米国の)「若い人達はもう既に通常のテレビ・ニュースは諦め、Jon Stewartの深夜番組The Daily Showのみを信頼する。そんな若者が沢山参加と言われる」と紹介している。マスメディアへの不信は日本だけの問題ではない。むしろ、米国で先に始まったものだといえる。

ここに一冊の本がある(ブログのタイトルを「書に触れ、街に出よう」としたのに、本を紹介するのはこれが初めてである)。アーティスト坂本龍一氏と作家辺見庸氏の対談をまとめた『反定義 新たな想像力へ』(2002年、朝日新聞社)という本である。ブッシュ政権がアフガン侵攻を開始、アフガンの現地取材から帰国した辺見氏と、9・11後のニューヨークの様子をつぶさに見てきた坂本氏との対談で、当事の言説の状況を見る上でも貴重な対談集である。この対談では様々なことが語られているのだが、言論について二人が語る所を中心にここでは取り上げる。坂本氏は9・11後のニューヨークでは自主規制という名の言論統制が進み、プロパガンダが支配的になっていき言説が死滅していく様子を生々しく伝えている。何でも茶化しておしまいにする80年代のポストモダンの影響で、言説と哲学が死んだとする坂本氏の指摘は卓見である。この後、米国は大量破壊兵器をイラクが隠し持っているなどという根も葉もない言い掛かりを根拠として、2003年にイラク戦争に突入していくことになる。ネオコンのあからさまな世論誘導に対し抵抗する力がなくなってしまったのである。

さて日本の言説はどうであっただろうか。坂本氏は「現時点のアメリカと日本を比べると、日本のほうがはるかに言論の自由がある」と述べている。ここで坂本氏の言う「現時点」とはこの対談が行われた2002年1月の時点のことである。この本が朝日新聞社から出版されたという事実も非常に興味深い。現在の朝日新聞社が坂本龍一氏や辺見庸氏の本を出版することはもはやないように思えるからだ。さらに二人の対談は続く。2010年の現在から振り返って、非常に示唆に富む内容であるので、長くなるが一部引用する。坂本氏の見解に対して辺見氏は日本の言論についても警鐘を鳴らす。

[引用開始]―――――

辺見-でも相対的に日本のほうがまだ言論は自由だといえるかもしれないけれども、ぼくは日本の言論抑圧のありようというのは渋茶のように積もってきているというか、気がついたときはがんじがらめになって、もうすでに真綿で首を絞めるような状況にはなってると思います。日本の言論というものはあからさまな権力の介入ではなくて、自主的に転向しちゃってます。責任主体がはっきりしないまま、自分で自分を抑圧するんです。まさに抵抗せずして安楽死しつつある。ヌエのような全体主義は相当深刻です。若い記者は時代の比較ができないからしかたがないかもしれませんが、年寄りどもは知っていて知らないふりをする。それから言説の世界で生きている人間が、誰も体を張ってないですね。ちょっとでも体を張らなきゃ、言葉はだめですよ。面白おかしくても意味がない。あまりアメリカのことを笑えないなと思う。

坂本-もちろんそうです。日本の対米従属構造がこれだけはっきりしているのに、右翼から何も声が聞こえてこない。これも同じ問題ですよね。もう日本には本物の右翼がいないっていうことですかね。

辺見-そう。ちゃんとした左翼もいません。

坂本-要するに言葉の論理が機能してないということじゃないかな。ぼくなんかがいってることは、本来は右翼がいうべきことなんですよ。

辺見-ぼくもね、ふっと気付くとね、小泉のことを「ありゃ売国奴じゃないか」なんて、私のボキャブラリーじゃないんだけどいっちゃったりする。右翼の代わりにいってあげてるみたいなもんです。

[引用終]――――

この後、辺見・坂本両氏は身体を張った言説について議論する。この対談集はほかにも読みどころがたくさんあるので、ぜひご一読いただきたい。

この後のマスコミを含めた日本の言論について、残念ながら辺見・坂本両氏の危惧したとおりの展開となり、日本は薄気味悪い言論統制が敷かれる国となってしまった。それでもそこに至るまでの過程で、マスコミではまだ良心的な記者たちが抵抗したように思われる。毎日新聞社会部の「縦並び社会 格差の現場から」という特集は秀逸であった。2006年まで毎日新聞紙上で特集は続き、同年9月『縦並び社会 貧富はこうして作られる』という本が毎日新聞社から出版されている。これが象徴的にマスコミ内部の最後の抵抗だったのではないかと思う。朝日・読売の気骨ある記者が変死したのもこの時期とちょうど重なる。この後マスコミは権力監視の報道機関であることを放棄し、独裁途上国にみられるような少数の所謂「勝ち組」エリート層のプロパガンダ広告媒体となって今日に至っている。

さて米国と日本では変化の兆しが見え始め、「チェンジ」を標榜した民主党が両国で政権を奪取した。しかし、ネオコンを中心とした旧権力の巻き返しは激しい模様で、オバマ大統領は思うように権力を掌握しきれていないように見える。日本でも鳩山政権は官僚を掌握しきれずに迷走し、官僚の抵抗とマスコミの総攻撃にあって退陣させられた。菅首相は旧体制側と手を結んだ模様で、参院選で歴史的な大敗を喫したにもかかわらず、マスコミによるあからさまなバックアップと、対立候補の小沢氏への理不尽かつ根拠のない攻撃とを追い風に民主党代表選で勝利し、政権を持続することとなった。

冒頭で見たように米国では人々の間で、正気に戻り理性を取り戻そうという運動が盛り上がってきた。日本でもようやくこうした動きが人々の間で出てきた。政治的背景が同じというつもりはないが、従来の狂気を一掃し、正気に立ち返ろうという点では共通していると思う。人々はもはやプロパガンダ、誘導、巧みに操作された情報、思考を停止状態に追い込む摩訶不思議な呪文といったものに愛想が尽き、本物の言説に飢えているのだ。「チェンジ」を求めた人々の背景にこうした思想の萌芽があったと思う。10月24日と11月5日に東京で行われたデモは、自然発生的にデモを求める声がインターネット上であがり、主催者が現れ、ツイッターやブロガーの協力でインターネットで情報を拡散して呼びかけられたという画期的なデモであった。大手マスコミは予期されたとおりその過程もデモの様子も全く報道しなかったが、却ってそれは大手メディアの衰退とインターネット・メディアの伸張を象徴することになった。単なる欲求不満を背景にしたようなデモとは異なるので、デモ自体がガス抜きになる様子は全くなく、運動は裾野を広げ、地方に波及する勢いを見せている。11月20日(土)には大阪でデモが行われる予定である。日本でもネオコンの狂気から脱却し、理性そして知性を取り戻す運動が沸き起こってきたのである。言説は再び生き返ろうとしている。

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