偏向マスコミを徹底糾弾しよう(2) 政治が「イメージ広告」になったとき

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警察ジャーナリストの黒木昭雄氏がお亡くなりになった。心からご冥福をお祈りする。今回の記事で、マスコミはいつごろから集団転向をしたのだろうということを書くために、いろいろ調べ物をし、最近特集のあった石井紘基氏へのテロのことや新聞記者などの怪死事件(全て「自殺」として処理された)等の記事を読んでいた最中に、黒木氏の訃報に接したので、ショックを受け絶句し、作業が手につかなくなった。今回のブログ記事はまとまりのないものになりそうであるがご容赦いただきたい。マスコミは一斉に「自殺か」と報じており、またしても「自殺」として処理されるようであるが、インターネット上では既に疑問の声があがっている。報道された内容が少なすぎて何ともいえないが、私も「自殺」に見せかけた「他殺」ではなかろうかとの疑いを持つ。黒木氏のツイッターを見る限り、突然自殺するようには思えない。遺族の方の心境を察するに余りあり、書くのが非常に恐縮であるが、警察によるものではなく、信頼できる第三者の手による医学解剖を早急に求めることが必要だと思う。練炭自殺に見せかけた他殺事件も実際に明らかになったケースもあるので[1]、真相の究明が求められる。ジャーナリストや記者などが突然死亡した場合は、他殺を一番に疑うべきである。言論へのテロであるなら断じて許してはならない。

前回の記事で私は「(マスコミが)いつのまにか変質して横並びの報道をするようになったので、免疫がなく抵抗力が非常に弱かった日本人は簡単に報道を鵜呑みにするという素地ができてしまっていたと思う」と書いた。ではいつからマスコミが旧体制権力に擦り寄ったのかということが疑問になるわけである。官房機密費問題の全容は未だに明らかにはなっていないが、上杉隆氏のレポートや野中広務氏や鈴木宗男氏の証言からすると、かなり昔から行われていたようである。「三宝会」という組織が作られたのも竹下登氏の頃まで遡る話である。しかし、特にマスコミそのものが自民党政権にべったりというわけではなく、ある種の緊張感は持続していたと思う。森首相とマスコミの関係が良好であったとは到底思われない。記者クラブはそれまでもずっと外国プレスなどからその排他性を非難され続けてきており、今に始まった新しい問題ではない。何かが決定的におかしくなったのはここ数年の出来事で、小泉内閣の頃からであるように私には思われる。

小泉・竹中路線の負の遺産は広範囲に渡りかつ今日まで尾を引いているが、多くの方々が既に論じておられるのでここでは論じない。政治とメディアの関係についてだけ述べると、小泉氏の「劇場型政治」なるものを演出したのはマスコミであり、この「劇場型政治」とは「イメージ広告型プロパガンダ政治」であったと思う。

小泉内閣は実際に飯島勲氏を通じてマスコミ対策を積極的に行ったり、内閣府を通じて広告代理店に発注し政策推進をする手法を立案したりしており、この頃からマスコミが政治部を中心に権力に対して緊張感のない体質へと変質していき癒着を生んでいったと私は推測する。なかなか検証する客観的資料がないのが現実だが、ここでは比較的中立であると思われるウィキペディア(非常に当たり障りのない記述に終始し物足りなさを個人的には感じる)に記載されたものから資料を拾って提示する。

飯島勲(当時首相秘書官)のページ

「小泉内閣の誕生にともない内閣総理大臣秘書官(政務担当)に就任。メディア戦略や情報操作に長けており、日本のメディアからは「官邸のラスプーチン」、アメリカのメディアからは「日本のカール・ローブ」と評され、歴代の総理秘書官と比較してメディア露出が多い。」

「首相秘書官在任中は、メディア対策の一環として、テレビのニュースキャスターと懇談会を開くなどした」

安倍晋三(当時官房長官)のページ

「2004年4月8日、イラクで日本人3名が武装勢力によって誘拐され、犯行声明が出された際、小泉首相は読売新聞編集委員の橋本五郎、毎日新聞特別顧問の岩見隆夫など、複数の大手新聞社の幹部と懇談していた。」

小泉純一郎のページ

「また、マスコミ報道を利用した劇場型政治は、都市部の大衆に受け、政治に関心がない層を投票場へ動員することに成功した」

「タウンミーティングでは、謝礼金を使ったやらせ質問の横行、電通社員へ日当10万円の払い、エレベーター係へ一日数万の払い、などといった不透明な実態が明るみに出た。コストは平均2000万円、全国一巡したことで20億円弱もかかっていた。」

なお、このタウンミーティングやらせ問題については、「タウンミーティング小泉内閣の国民対話」のページに詳しいのでそちらを参照されたい。

さらに極めつけは郵政民営化を推進するために、内閣府が広告会社に発注して対策を練っていたことである。この件に関しては「B層」の言葉で有名になり、ご存知の方も多いと思うので論述しない。詳しくは「B層」のページを参照されたい。

当然のことながら、首相がマスコミ幹部と面会したということだけをもって、マスコミが権力に癒着したと主張するつもりはない。表面に出ている資料も少なすぎる。が、麻生太郎首相もマスコミ幹部と料亭で会談していたことが明らかになっている。また、マスコミが旧体制権力との癒着を生むその他の例として考慮に値するものとして「新しい日本をつくる国民会議」(通称21世紀臨調)も挙げられる。当時政治部会主査として小泉政権に批判的で、体制刷新後委員から外された植草一秀氏は「大資本と大資本系労組の代表のみで構成される“似非国民会議”だ」と批判している。マスコミ幹部が多数委員として名を連ねているのは見逃せない。

私は広告について全く詳しくないが、自社の製品やサービスを宣伝したい場合、(1)正攻法で自社の製品やサービスの優れた点をアピールする、(2)結果として消費者が自社製品を買ってくれればよいとの観点から、製品の中身よりもイメージをアピールする戦略に出る、といった分類ができると思う(他にもいろいろあるだろうし、1と2の混合のような広告も多数あるだろう)。

(1)は消費者の理性に訴えかけるのに対して、(2)の場合は消費者の理性的判断を鈍らせ、感性に訴えかけるものとなる。分類が荒っぽいかも知れないが、これを小泉政権の政治手法に当て嵌めると、小泉氏は意図的に(2)を選んだと思う。そのため、(1)にあたる「議会での真摯な政策論争」というものの比重が現実の政治を動かす要素において非常に軽くなってしまった。為政者の側にしてみると、自分が推進したい政策の中身を議会で正面から議論するのではなく、好イメージを付加し議場の外にアピールすることで、欲した結果が得られることになる。

当時野党が追及すべきであったのは、「タウンミーティングのコストがかかりすぎる」とか「IQが低いとは有権者を馬鹿にしている」といった問題ではなかった。このような問題は本質的ではない。広告会社を用いたイメージによる政治によって議会政治が形骸化されるということこそが、ここに付随する本質的な問題であったと思う。

政治がイメージ広告となってしまい、マスコミは権力監視機関から広告媒体へと変質し、国民は有権者から受動的な消費者となったのである。マスコミが増長・暴走し、政治に多大な影響を及ぼす素地ができあがったのがこの小泉時代であったと思う。

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2 Responses to 偏向マスコミを徹底糾弾しよう(2) 政治が「イメージ広告」になったとき

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