個人メモ(転載不可)

このページは個人メモです。転載は不可とさせていただきます。(11月5日20:30一部変更。詳細は末尾)

2009年9月民主党は総選挙に勝利した。保守勢力(nico註:自民党のこと)は衆参両院で敗北し半世紀以上の歴史の中で初めて野党に転落した(nico註:細川・羽田政権のことを考慮に入れていないと思われる)。このことから明治維新に比肩しうる重要で歴史的な出来事が起こったと表現するのが適切であろうと一部の研究者たちは考えた。

民主党の勝利から半年が経ったが、日本の政治は劇的に変化することはなかった。長期にわたって待ちわびた人々の期待にもかかわらず、国家は明らかに制度を民主化することには着手しておらず、より悪いことに、市民の自由や民主主義にとっては不吉な前兆である専制政治への動きが起こりつつあるようである。

では一体2009年の秋以来何が起こったのか? 民主党の公約の観点からはたいしたことは起こっていないと言えるだろう。新政権与党は内需拡大の促進することと出生率を上げるための施策を順次行っていくことで、より公平な資本財の分配を行っていく計画を立てていた。彼らの政策は明らかに新自由主義と修正ケインズ主義の政策への回帰に対する挑戦であった。さらに民主党は沖縄米軍基地の状況に関してアメリカと再交渉をすること、そして高級官僚と大企業の間で水面下に行われる天下りに終止符を打つことを公約していた。

1年以上にわたる民主党政権下でこれらの政策を達成するために具体的なことは何一つ行われなかった。これらの改革を成し遂げようと心から決意していた民主党政治家は実際には放逐されてしまったのである。なぜ、そしてどのように?

現在の状況を理解するには、少し歴史をおさらいする必要がある。日本という国家における古代からの官僚と行政官の役割と評判について、そして封建制の江戸時代における彼らの重要性についても、我々はすでに知るところである。過去において為政者たちが依拠した儒教は官僚エリートのイデオロギー的な正当化に他ならない。20世紀初頭、国家に仕える官僚たちはまたしても帝国大学出身のエリートたちであった。優秀な学生たちは、彼らに人々からの尊敬、影響力や有意義な見返りを保証する国家というものに自然に目を向けることになった。国家は概して官僚にコントロールされ、重要な決定において政策(Nico註:”policies”ではなく「政治家」”politicians”の間違いか?)は小さな役割を果たすことになった。大学で訓練を受けたことから、官僚たちは、選挙で再び当選するということに執着する政治家たちよりも、自分たちのほうが国家についての科学についてより熟知していると信じていたのである。

1930年代から軍部官僚たちが国家の構造の中で演じた役割に我々は気がついている。アメリカは(太平洋戦争)勝利の後、公職追放と軍部解体を行ったが、しばしば誤った標的すなわち官僚たちではなく政治家たちを攻撃したのである。官僚は政治家とは異なり実際に追放の犠牲者となることがほとんどなかった。1935年から1955年にかけての時期における高級官僚の経歴を検証すると、あたかも政治的イベントが彼らのうわべを飾るかのように異常なほどの出世をしていることがわかる。最も才能のある官僚たちはしばしば植民地へ送り込まれていた。戦後日本に帰還したのち、60年代の高度成長を謳歌することを可能にした大蔵省、通産省の政策決定の舞台裏に彼らはいた。

いわば彼らの大勝利は、自民党の政治家たちとほぼ完璧でかつ目立たぬように協力し合いうまく国家を運営し続けることであった。しばしば官僚自身から天上がりするところの保守政治指導者たちは、自分たちの統治と、それに付随する結果として彼らの職そのものの安定性を保証した。それゆえ、官僚にとっては自分たちが持続することを許容するシステムを批判するということに関心がなかった。この(官僚と自民党の)協力関係は非常にうまく機能し、日本は当時の一部の識者が限界がないと信じたほどの好景気を謳歌した。しかし、1970年代に田中角栄が政権を獲得したとき、最初の官僚の没落が起こった。生来御しがたく、また東大閥でもない田中に安定的な収入に満足していた官僚たちはいらだった。彼らは田中を許すことはなかった。慎重な言い回しで言うならば、田中の政治生命を絶ったロッキード疑獄は官僚内部からのリークによって引き起こされた。この事件の後、腐敗政治家を行政から追放するために検察の資金捜査の権限を強める新しい規定が設けられた(政治家に対する「きれいな」捜査がおこなわれるという満足感を大衆におおいにあたえるものだった)。

しかし問題は、検察の管理下で警察は強大な捜査権を手にしたということである。彼らは自らを正当化する必要もなく、また情報源を明らかにする必要のない書類に基づき捜査開始を決定することができ、さらに当初の捜査が不首尾であることが判明してもさらに捜査をすることができるのである。保守勢力が権力の座にあった間は彼らと官僚の取り決めは機能し、検察の政治家への攻撃も穏やかなものとなったが、それでも検察主導の捜査で一部の政治家が転落することに結びついた。さらに捜査はしばしば政治家の秘書や家族を標的にして行われ、結果としてその政治家の信用を落とすことになった。

しかし、2009年の民主党の勝利は行政官僚たちにとって著しい不安定な時代の始まりと受け止められた。特に田中派出身で、自民党から民主党へと渡り歩き、民主党の総選挙勝利の立役者となった小沢一郎は、官僚を統治することを公言してきた。小沢にとって、政治(Nico註:ここも政治”politics”よりも政治家”politicians”の方がすっきりするのでは?)が官僚より上位に位置し、官僚は従わなければなく、その逆ではない。その結果小沢は、新聞と主要メディアよって、腐敗している、危険だ、有罪だなどと裁判に掛けられてもいないにもかかわらず、意味のないバッシングにさらされ続けてきた。小沢が受け取ったとされるカネに関してのいくつかの捜査が開始され、小沢は自身の代わりに鳩山に首相の座への切符を譲らざるを得なくなった。(鳩山)新首相も検察の操作によって自身の選挙資金に関するスキャンダルに見舞われていたが、その新首相を裏で操っているなどとして、小沢は2009年秋以来責められ続けてきた。

2010年夏、民主党代表、即ち首相の座をめぐって、菅直人と、全面的に有罪で腐敗政治家という描き方をされつづけている小沢一郎の選挙戦が激化した。菅は9月代表選に勝利した。小沢はすでに失敗に終わった検察の捜査を受けていたものの、2010年10月4日、強制起訴されることが決まった。小沢の政治生命は深刻なダメージを負った。

この事件は日本政府のあからさまな転換を浮き彫りにした。いかにして、そしてどのように検察官は何の制約もなく-政治家は腐敗しているという疑惑を受けるにもかかわらず-個々人への捜査を行うことができるのか、また、当初の捜査で証拠がなかったにもかかわらず、良心の咎めもなく再捜査をすることができるのか。そして、なぜ新聞マスコミは、独自の取材調査や取材記者としての職務を行おうともせず、法務省からのリークされる嫌疑のみを報道するのか?

報道機関上層部が官僚・検察の奴隷状態にあることにうんざりしたジャーナリストたちは益々大手メディアを離れて、様々なブログやビデオを通したインターネット上のオールタナティブ・メディアに向かっている。対抗勢力は徐々に力をつけてきており、マスコミを「マスゴミ」と非難し、ファシスト検察を攻撃している。10月24日にはインターネット上だけで呼びかけられた検察当局に対するデモが行われ、今後も同様の集まりが企画されている。独裁の危険性を批判し検察の暴走にストップをかけるための運動が、公では無視されても、広がっていく可能性がある。

小沢は北京と東京の関係のバランスを回復させることを希望しているが、もし菅政権が中国との関係を無茶苦茶なものとし、恥知らずにもアメリカのネオコン勢力と共同歩調をとり、そして民主党の閣僚が自衛隊を軍隊に改変し核兵器所持へとタブーを破ろうとする場合、アメリカが公然と菅への支持を表明したとしても不思議ではない。中国と周辺国の間での緊張、そして予期できぬ北朝鮮の行動をめぐる緊張が高まり、軍靴の響きが聞こえてくるなら、日本の市民は、市民の自由、言論の自由、地域に平和をもたらす政策を擁護する立場を表明するために、緊急に声をあげて立ち上がるであろう。(nico註:この段落はちょっと原文がわかりづらいが、大体このようなことを言っていると思われる)

[追記11月5日20:30]

今日原文を見ると、どうやら最終段落部分に訂正があった模様である。前回訳出したものとテキストが異なっていた。when some ministers ~ の部分を以下のように変更する。

「自衛隊を正規の軍隊へと改変する可能性や、軍需産業を輸出志向へと再編することによる景気回復を模索する可能性を民主党閣僚が提起する場合、」(Nico註:前回のテキストに記述のあった核武装のことではなく、武器輸出解禁のことを指している)

他にもテキストに変更が見つかれば、その都度変更する。

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